「小谷哲也さん」を偲ぶ会
2022年10月10日
「小谷哲也さん」を偲ぶ会が9日(日)午後3時から東京港区芝浦のタワーマンションのホールでありました。
小谷哲也さんといっても私たちだけにしか分からない人です。中央大学の時「グループH」というサークルに入っていました。「H」はヒューマンとも変人などとも訳せます。私たちは「GH」と呼びあまり意味を考えず、グループのGの次はHだからGHと言っていました。ふざけたようなネーミングですがれっきとした大学の公認サークル団体でした。
中身はマスコミへの受験団体です。形だけですが一応入部試験も実施され、誰でもが入れるサークルではない、という体裁はとっていました。その指導者が小谷哲也さんです。大学の先生ではありません。大学の職員です。学生部あるいは就職部に在籍していました。しかし強烈な個性の持ち主で、その小谷理論にみんな魅かれて学生が集まって来ました。フランス文学を愛し、人生の生き方や時間の過ごし方、遊び方や人のまとめ方、社会に出てのマナー、一人の人間としてのテーマの持ち方など大学で教えないものを小谷さんが語り、私たちはそれに心酔し、理論だけでなく様々な行動も実行に移しました。結果としてそれは文章としていかに自らの考えを表現するかに移り、毎週作文の添削もしてもらっていました。私などはいつも「ダメだ。それでどうした」という赤ペンでの厳しい評価が返って来ていました。
文章の訓練だけではありません。「ラドリオ」という神田神保町のシャンソンが流れる喫茶店が小谷さんと私たちのたまり場でした。そこでの論議やノートによる論戦。夏、冬は山荘で定期的に合宿をやり、東京の学生を募って大型クルーズ船を貸し切って洋上セミナーと称してグアムに行ったり、キャンピングカー6台でアラスカマッキンレー公園を一周したり、ヨーロッパ各国の美術館巡りをしたり、とハチャメチャな行動と理屈を持つ不思議な団体でした。しかし、それがメディアへの登竜門だったのです。お陰で就職して2年くらいは海外へ行った借金の返済に追われました。
その小谷さんは今年2月1日に肺気腫のためお亡くなりになられました。90歳近くだったと思います。その偲ぶ会をやろうと、小谷さんが住んでおられた芝浦のマンションホールに門下生が集まったのです。私は16期生。この日は一期生こそ出席はなかったのですが、80歳代から40歳代まで「小谷学校」の生徒60人以上が顔を揃えました。
みんなそうそうたるメンバーです。全国紙の元記者、論説委員やテレビ局の元記者、アナウンサー、プロデューサー、出版社で活躍した先輩、大手広告代理店の元役員等々です。
まず代表して直木賞作家で百舌シリーズでお馴染みの逢坂剛先輩(本名 中正浩氏、博報堂出身)が挨拶、続いて先輩たちが小谷さんとの思い出などを次々に披露しました。
若手ではノンフィクション作家の門田隆将さん(週刊新潮出身)も挨拶されました。ほとんどがメディア出身、もしくはメディアやフリーで現在活躍中の男女ばかりです。政治家は私一人と肩身の狭い思いでしたが、一応新聞記者を15年やっていますので全くの仲間外れではありません。挨拶では多事多難な岸田政権についても少し触れさせていただきました。
午後6時に終了予定でしたが、偲ぶ会は盛り上がって行きました。私は熊本に帰る予定がありましたので午後5時半には退室しました。
久々のGH談義でした。
振り返るともうあれから50年近く、半世紀前の思い出話です。時の経つのがこんないも早いものかと身をもって思い知らされます。