農業というものの根本を考える
2012年03月26日
震災復興や円高デフレを防ぎ日本の景気を上昇させる、というのが今のわが国がやらなくてはならないことですが、一方で広がる中央と地方の格差をどうするかということも論議していかなくてはなりません。そのためにはやはり農林漁業をどうしていくか、ということに行き着きます。
東京や横浜、大阪、札幌、福岡など、日本の人口は都市部に6割が集中しています。ともすれば都会の目だけで見がちです。しかし日本中どこに行っても、ほとんどは田舎です。この田舎をどう支えていくか、を考えていかなくでは奥行きの深い国にもなれないし、中間層を広げることも出来ません。
熊本で同志の皆さんとそこのところを話し合いました。企業誘致も大切、農業も企業的経営や儲かる農業を目指すのも大事なこと。しかし、農業を企業経営体にして流通部門まで目配りして利益を得ることが可能な人たちは一握りの方々です。
多くの方は農産物を生産するのに精一杯、その代わり生産するものには誰より自身と誇りを持っている。一方で地域に根ざし、家族や集落を大切にし、また頼りにして働いている方が大部分です。その「大部分」のところに視点をおいて農業を「産業」としてだけでなく、「社会的なもの」として考えなくては地域社会は崩壊する、というのがほとんどの意見でした。
最終的には共同体です。近代化、民主化された村落共同体(ゲマインシャフト)で地域を運営し、同時に経営体の一面としても出来うる限りのノウハウを駆使する。ただし、資本の論理が入り込むと結局、資本の数が支配するようになる。難しいところですが、そこを地域の中のリーダーシップや地域社会全体で協議していくという中で乗り越え、農村社会を維持していくことが一番確実で、将来も持続できることになるのでは、という意見がほとんどでした。
飲食なしで、お茶のみの論議でしたので非常に難しい議論になりましたが、やはり田舎は田舎らしくみんなの力で、という事です。
民主党政権が今度の国会で「株式会社農林漁業成長化支援法」を出してきます。農林漁業産物を売り込むため株式会社を設立する際に、国が基金(ファンド)を設けて50%の出資をお手伝いしましょう、というものです。一見良さそうですが、どうも危険な面が多すぎます。資本に利用され社会が崩壊する可能性もあります。別の視点が必要。再考の余地ありです。