「平成の開国」とはなにか
2011年01月27日
昨日の代表質問でも、その前の日の施政方針演説でも菅総理は「平成の開国」という言葉を多用します。今の時代に開国とは大仰な言葉だなあ、と感じます。特にTPPに参加したいために、これまで保護政策が採られてきた農業に対して門戸を開く、という意味で「開国」といわれているのでしょう。自由貿易イコール開国ということなのでしょう。
しかも、明治の開国、戦後の開国に続く「第三の開国」とも言われます。ここまで来ると坂本龍馬気取りです。政権交代をして、明らかに日本が変っていくということをアピールする政治用語でしかありません。この言葉の心地よさに気をつけなくてはいけません。
江戸末期、から明治に移る時だって、最初は「攘夷」でした。外国勢を排除しろ、です。それほど愛国心が強かった。それがあまりにも外国との格差を理解してから「開国」になりました。それでいて明治になっての急速な発展は江戸の教育があってこそでしたし、日露戦争だって武士道あってのものでした。
戦後の急成長も戦時体制の科学技術の蓄積と日本人の勤勉さと規律正しさと頭脳明晰さがあってのことです。
そこに行くと菅総理が言われる「開国」の意味がよく分かりません。まず国内産業どういう方向に導こうとするか、国内の問題を論議することからはじめなくてはならない。そしてしっかりした食料政策、教育政策、産業政策、財政政策がなくては国は持ちません。「開国」という言葉が先行して、しっかりした基礎的日本の建設をないがしろにするなら、「空疎な国家」にしかならない。危険な兆候です。