国としてのあるべき姿
2009年01月05日
半藤一利著の「幕末史」、五木寛之著の「人間の覚悟」を年末から年始にかけて読みました。どちらも政治活動をするうえで示唆に富んだものでした。
特に「幕末史」は、著者がこれまで明治史観や薩長史観でしか見てこなかった日本の近代史を、江戸史観とでもいうべきもので書いたものでした。確かに幕末の志士たちは250年続いた江戸封建時代を倒し明治維新を成し遂げたのですが、結局明治になり、江戸の藩邸の幾つかを国家が没収して、そこに新しい明治の政府要人が住み、外国に倣って制度はつくっていったが、支配者は豪勢な暮らしをして貧しき人の暮らしは変わる事がなかったのです。
西郷隆盛が「幕府を倒したといってもそのあとの人間が贅沢な暮らしをして、一部の人間だけで政治が動かされている。これでは何のための倒幕だったのか」と嘆いて薩摩に帰ります。まさにその言葉が、当時の政治状況を言い当てているのでしょう。
やはり革命を起こすときは、どういう国にする、という明確な青写真がなくては「ただぶっ壊しただけ」に終わってしまい虚脱感だけが残ります。明治維新は悪くはなかったけど、はっきりとした哲学はなかったことが伺えます。
江戸の経済やシステムが崩壊寸前まで来ていて、階級社会で形式だけの平和ボケの武士の世の中に不満が鬱積していた。そこにたまたまペリーが黒船を率いてやってきた。平和ボケ、形式主義の幕府がその処理も出来ないで右往左往しているうちに国民はあきれはて、不満は高まり、江戸を終わらせようという動きになっていく。試行錯誤を重ねて出来上がったのが明治政府、ということになります。「尊皇攘夷」や「尊王倒幕」「尊王開国」など歴史はあとから理論付けをしますが、その時代を早く終わらせようという意識が強く、革命というより一揆の大きなものに近かったのではないかとも思われます。
今の自民党がその江戸幕府に例えられますが、それでは次にどんな国家像をつくるんだ、という所までは誰も行き着いていません。「ただ政権交代すればいい、それが最大の改革なんだ」という民主党の主張は結果として国家・国民を不幸にします。日本という国のあり方やシステムをもっと考えていきたいと思います。
貧しい人たちを救うという一念で、アメリカに支配されていたキューバに上陸してキューバ革命をカストロとともに実行し、若くして殺され散ったエルネスト・チェ・ゲバラの映画が2部作で近く公開されます。青写真と目標を持って革命を遂行していった、という点に関してはこちらがより明確です。明治維新や今の自民党の危機と重ねて見てみたいと思っています。