梅原猛先生の講話

2008年04月02日

 昨日は、かねてより尊敬する哲学者で特に仏教哲学の日本の第一人者でもあり、さらに日本学とも言うべき領域を開拓しておられる元国際日本文化センター所長の梅原猛先生の講話を聞く機会に恵まれました。
 先生の本は何冊か読みましたが、余りにも奥行きが深く私の頭では中途半端にしか理解できていません。一度話を聞ければと思っていたところに、これからの日本の進むべき道を探っておられる加藤紘一代議士たちが、京都から招いて「この国のかたち」というテーマで超党派の国会議員を集めて話を聞く機会を与えてくださいました。国会議員はこんな時は「有り難いなあ」と思います。梅原先生は83歳。民俗学の柳田国男さんと並び称せられる大家の話をナマで聞けるのはこれが最初で最後だと思います。会場には自民党はもちろん、民主党は鳩山幹事長ら、国民新党は亀井静香代表ら70人ほどが出席しました。
 開口一番梅原先生は「私は今親鸞と世阿弥のことを何とか分かろうとしている。時間がない。本当はこんな所に来て話す時間も惜しい。しかし今日は国政を担う皆さんだから来た」といきなり先制パンチです。
 内容は私が常日頃思っていることばかりでした。わが意を得たり、とも思いました。
 「グローバル化というのはまやかしである。それぞれの国が歴史に学ばなくてはいけない。マルクス主義そして自由主義はともに荒廃をもたらし、自然を搾取する」
 「日本の偏狭なナショナリズムは国を誤らせる。明治の思想がそうだった。まず廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)を行い日本から神も仏も殺してしまった。そして国家と天皇を神とした。本当の日本の姿ではない」
 「日本は神と仏、更に儒教、道教を受け入れ多くの価値観を認めることで成り立ってきた国である。神仏習合がそうである。伊勢神宮は神の本山であるが、伊勢の神が滅ぼした出雲の神はそれを敬う意味で、出雲大社を伊勢神宮より大きく造った。これは敗者に対する畏敬の念の現れである。これが本来の日本の神道の精神だ。それを憲法として言葉で表わしたのが、聖徳太子のー和をもって貴しとなすーである」
 「だから日本は多くの価値を認めながら、もちろんキリスト教も取り込みながら国づくりを進めなくてはならない。日本という国の歴史と国土、風土、地理的条件に一番合うのは、仏教、神道、儒教などの教えを取り入れ、アジアと共存していくことである。アメリカ的合理主義と弱肉強食的国家は日本の本来の姿・かたちではない」
 などなどです。私の主観も入っているので、正確でないかもしれませんが、そのようなことをおっしゃったと受け止めています。
 まさにここに日本の進むべき方向性がある、と感じた次第です。
 最後に余談としてこんなことを話されました。
 一万円が聖徳太子から福沢諭吉に変わる時、作家の小松左京さんたちと反対運動をされたそうです。なぜか。福沢は脱亜入欧を訴え、中国や韓国をぼろくそに言った。日本の原点は聖徳太子である。だから一万円という最高紙幣の顔は聖徳太子であるべきだーという理論だったそうです。
 それを聞いて、時の大蔵大臣の竹下登さんが飛んできた。「先生反対運動をやめて下さい。この後5万円札をつくりその顔に聖徳太子をしますから」と大臣から言われて反対運動をやめたということでした。「その後、今になっても5万円札はできない。そして福沢になってから日本は景気が悪くなった」と言われ、みんなの笑いを誘い「政治家は信用できない。政治は嫌いだ」と締めくくられました。
 みんな複雑な思いながらも感心して話を聞いていました。「和を持って貴しとなす」という言葉を聞いていた与野党が今の政治の状態に応用出来ればいいのですが・・・。