養護学校の卒業式

2007年03月14日

 昨日は地元にある県立の養護学校の卒業式に出ました。養護学校は教育の原点と思っています。そして地域みんなで協力してこそ、その教育の成果が出ると思っています。ですから県議会議員に当選した17年前から、ほとんど欠かさずに卒業式、入学式、運動会、文化祭などには参加してきました。
 県議会議員のとき、卒業式と委員会が重なってどっちに出席をするかの時、迷わず養護学校の卒業式にしました。議長にその旨を話しましたら許可されませんでした。「県立高校のときは議会を休会にしても議員各位先を争って、自らの母校などに出席し祝辞を述べるのを楽しみにしているのに、なぜ養護学校に対して出来ないのか」と食って掛かったことがあります。結局そのときは委員会を遅刻して卒業式に行きました。
 養護学校の式典を見ていると、先生たちも大変です。障害を持った子供たちですのでみんなじっとしていません。また反応を余り示さない子供もいます。先生たちは2-3人に一人の割合で付いていてくださります。走り回るのを止めたり、気持ちを奮い立たせようとしたり大変です。しかし生徒たちは懸命に、歌い、挨拶し、送辞、答辞を述べ式典を立派なものにしようと努力します。
 懸命に生き、勉強し、そして障害を克服していこうとする教師と生徒のやり取りが目の前で分かります。小学部より中学部、中学部より高等部が動作も挨拶もしっかりしているのは生徒、教師、保護者の懸命の努力の成果と思います。だから教育の原点と思うのです。
 一般の教師も養護学校の教師体験を一年ほどしてもらいたい。教師が何を原点に子供たちと向き合わなければならないか、が分かると思います。
 来賓も地域の方が大勢来ておられる。挨拶はなし。これも良い。懸命の努力というのは言葉や挨拶でなくて現場を見ているとわかるものです。養護学校の行事に進んで参加しましょう。
 ただ最後に高等部を卒業する保護者の方が挨拶されました。「これまでは学校で教育を受けるということで安心だった。しかし、これから、就職した後の不安も大きい」と。障害者の雇用は厳しい。企業に対する助成措置も一年間、という現実もあります。果たして社会に出た後の対応策が十分だろうか。教育はしました。後は企業に任せます、では高等部教育まで苦労して育て上げた12年間の努力が無駄になります。卒業後の政策を考えていきたい。
 明朝の辻立ち7時20分菊陽武蔵丘北、7時50分石坂交差点、8時20分菊陽役場北。