契約栽培と資本主義

2006年12月24日

・・先に農家の契約栽培のことを書きました。「企業と契約して栽培することで、収入は安定するし、農作物の品質管理に神経を遣いようになる。改めて農家のプロとしての力量が問われる」ということを農家の方が言っておられ、契約栽培の良い面を書きました。
・・しかし、昨日行った別の農家の方は、こんなことを言われました。「契約栽培を5年前からはじめた。安定した供給体制をとる為に、5人で組合を作って出荷している。しかし、組合長がどうも企業の言いなりになってしまう。価格は安くなり、難しいことをすぐ受け入れてしまう。企業の言いなりになってはいけない、と言うんだが」と嘆いておられました。
・・その契約栽培は農産物を薬品メーカー出荷します。今絶好調の健康食品です。当初はなかなか好調だった、と聞いています。しかし、相手は企業です。徐々に企業のペースになっていっているんでしょう。
・・農家はここが弱いところです。作るほうはプロでも、商品化や販路までは手が回りません。やはり「もちは餅屋」で行かなくてはしようがありません。企業は商売のプロですので、もし生産者をたくさん抱えていれば、生産者を競わせて、取引を有利な方向に持って行こうとします。農家は取引先がなくなってはもとも子もありませんので、結局企業のいいなり、ということになり、不利な条件で契約する、ということに落ち着きます。ここが企業は厳しい。組合員が中心の農協などと違うところです。企業経営者と労働組合の関係と同じです。株主優先か現場の労働者か、です。
・・農業に限らず第一次生産者といのはいつも厳しい立場にたたされます。資本の論理、株式の論理というのは非情です。しかし、競争社会である以上勝負では非情の論理のほうに、軍配が上がります。働く人を上手く保護していく資本のやり方はないのか、考えさせられます。
・・明朝の辻立ち7時20分菊陽役北、8時大津。