教育の難しさ
2006年10月25日
最近教育の現場にに携わる機会が増えています。昨日の大学と自治体もそうだし、今日の専門学校の授業もそうです。また幼稚園、保育園の運動会、発表会への参加。
またマスコミでは、いじめによる自殺、教育委員会の問題、学校の隠蔽体質が連日報道されています。
しかし教育は中には入れば入るほど難しい。評論家的に言えば自分の思いでどうにでも言える。また入りこみすぎて全体が分からなくなっている専門家、教員も多い。試行錯誤の連続です。
どういう人物に育って欲しいか、という人材論にしても千差万別です。さらに教える方、教えられる方、家庭の役割、小中高校それぞれの役割分担、学力問題、協調性、対話力、社会の変化による外的要因、しつけ、などその範囲は広く、考えれば考えるほど難しくなっていきます。
それらを全部含めた必要最低限の教育、これが義務教育でしょうけれど、この最低さえも満たせない。どこから手を打ってよいか分からないくらいです。しかし、幼稚園から高校まで見ていると、小学三年生くらいまではみんな素直に、目を輝かせているように思います。そして中学生になるといろいろな問題が表面化してくる。ということは小学校4年生位から自我が芽生え出す頃の教育が最も大切なのかな、とも思います。
安倍政権の教育再生会議、これらの問題にどこから手をつけて、何を提言していくのか、関心を持って行きます。
今日授業をし、そのあと教職員の方々に提出してもらった教育レポートを元に、個人面談を教員の方としながら、改めてその難しさを感じました。
明朝の辻立ちは、午前7時30分小国、8時南小国です。