教育委員会のあり方
2006年10月18日
いじめによる小中学生の自殺か続きます。これに対する学校、教育委員会の対応が批判を浴びています。特に市町村の教育委員会がやり玉に挙がっています。
以前県議会の、文教治安常任委員会で「町村の教育委員会はなくして、県教育委員会に一本化した方が良い」という意見が出ました。その時は暴論だ、と思っていましたが、これほど教育委員会が機能しないなら、やはり何らかの対策を考えた方が良い、と思います。
市町村教育委員会を見ていると、退職校長先生の天下りか、選挙の論功行賞的選任が目立ちます。教育委員としてどんな教育論、人材育成論を持たれているのか聞いてみたくなります。
もともと、委員会制度というのは戦後、アメリカが首長を中心とした行政に権力が集中しないように設けたものです。人事委員会、監査委員会、農業委員会などがそうです。しかし、実際は形骸化してしまっているというのが現実ではないでしょうか。教育論だけでなく、監査の方法に疎い監査委員、人事委員会はあっても承認機関の様になってしまっているところ。農地転用の審査機関のようになっている農業委員会など改革すべき部分がかなりありますし、今のままだったらいらない委員会もあると思います。
特に教育は大切な分野。もし各市町村で独自の教育をやろうと思えば教育委員会がしっかりしていれば出来るはずですが、そんな話を聞いたことがありません。教育委員会は小中学校にもっと大きな視点で人材育成を指摘すべきですが、今まで教師や校長をやってきた人がそれ以上の教育論、また違った視点の育成論を言えるはずもありません。ましてや選挙の論功行賞で委員になった人は言うに及ばず、です。
特に、「いじめ」の問題は学校現場では覆い隠そうとするでしょうが、現状をしっかり調べて、教育現場とまた違った対応策を出すのが教育委員会のはずですが、それもない。教育現場と委員会のなれ合いになっている面が多く、事実上の機能停止です。これだったら専門官制度にして、もっと広域的に行う教育アドバイザーを設置した方が良い。そしてその地域に合った人材育成システムをアドバイザーが提案し行政が実践していった方がよい、と思います。
もちろん信頼できる教育委員のかたも、私の回りに大勢いらっしゃいます。その方々に教育委員会制度の改革をしてもらいたいとも考えます。
安倍内閣の教育改革。バウチャー制度や公共の精神の育成なども大切ですが、地域の教育制度を足下から見直していくことがもっと求められている、と思います。
明朝の辻立ち7時20分西原、8時菊陽。