市町村合併の行方
2006年10月12日
昨日は市町村合併を推進し、そして実現させ それ故に身を引いていった首長さん、議員さんと話をしました。その方々が口をそろえて言われました。「合併は時代の要請、そしてこのままでは人口一万人以下の自治体は絶対立ちゆかない、そう思い合併の旗頭になって推進したが、今の現状、合併した末端の町村の寂れ様を見ると、本当に合併が良かったかなあとつくづく思う」と言われました。
学校が統合される、その他の公共機関がなくなる、フェリーも廃止になった。効率性を求め、財政的不安から合併した市町村ですが、中心部は活性化したが末端は、ひどい寂れよう、と言うわけです。
私も最近その思いはあります。合併市町村の生活圏の中での格差がますます激しくなっているような気がします。もし合併していなくても、同じようになっていた、もしくはもっとひどくなっていた、かも知れませんが、どうも後ろ髪引かれる思いがします。
もっと単独で生き残るためにあらゆる努力をした方が良かったんではないか。例えば議員定数や、市町村職員の定数を半分近くまでする、そんな努力をしてどうしてもダメだったとき、最終手段として合併を考えても良かったんではないか、という思いさえします。
もちろんこれまで地方交付税や過疎地域の指定など、国の支援体制がありそれに支えられていた、しかし、今後はそれも出来なくなる、ならば合併しか方法はなかった、ということも言えるでしょう。しかし、現実を見るとかなり厳しさを感じます。
それでもこの実態を乗り切って行かなくてはいけない。そして最終的には合併は正しかった、としなければいけません。ここが踏ん張りどころだとも思います。
しかし、合併特例債という国からのアメで、造る必要のない庁舎や議会棟を造ったり、余分な箱ものばかりを建設していると、さらに悪くなることは確実です。これからは合併市町村長の将来を見通した手腕、能力が試されるところです。合併しても無駄遣いするな、何が合併市町村にとって大切な政策かを十分に考えましょう。
明朝の辻立ち7時20分菊池、8時大津。