穏健か強行か

2006年06月29日

北朝鮮の金正日政権はこんなものかと、改めて思い知らされます。横田めぐみさんの元夫と思われる韓国から拉致した男性を、韓国に住む母親、姉と北朝鮮で再会させました。母や姉はもちろん感激。「再会できたのは韓国政府や北朝鮮の配慮のお陰」という考えになりがちです。そこに拉致という行為があったからこそこんなことになった、という過去のの犯罪は薄められていきます。
 巧みといえば巧みな宣伝。稚拙といえば稚拙。それでも民族という血はそれを感激の方向に引っ張っていってしまうようです。日本は民族が違う。当然そんな話はまやかしの何者でもない、と考えます。そこにもう、日韓の拉致被害者家族の分断が起きています。日本と朝鮮半島の民族。どうしても越え難い感情であり、性格の違いを感じます。
 日本の外交も二重外交になっている。当初小泉総理の電撃訪朝は日朝の関係改善にあった。拉致という事実を認めさせ、その上で関係修復を図っていくというものでした。「日朝ピョンヤン宣言」は北朝鮮の金日成体制を認めるものでした。ですから当初、小泉総理が連れ戻した5人の拉致被害者は、日本の土地を踏ませた後、いったん北に帰し、改めて、家族また他の拉致被害者とともに帰国するはずでした。そして平和的に拉致問題を解決の方向に導いていく、というシナリオだったと思います。
 しかし、家族会などから「いったん帰したろもう二度と日本には帰ってこれなくなる」という願いを、当時の安倍官房副長官が聞き入れ、強硬策策に転じていきました。当時の官房長官は福田康夫氏で、福田氏は平和裏に帰国させようという穏健路線。ここに安倍、福田の考えの違いがはっきりしてきて二人は敵対関係に入ります。
 この問題は、金正日体制が崩壊しなければ解決しません。チャウシェスクやフセインのように、内乱やクーデターまた戦争がおき、当時の政権が犯罪者となり次の政権が前政権の犯罪を暴く、という形にならなくては全面解決は望めない。
 日本の場合「日朝ピョンヤン宣言」という相手を認める宣言に総理が署名しておき、一方で金正日敵視政策をとることは、少し矛盾を含んでいます。
 国会議員の間では今も、両論あります。「あの時いったん帰していればこんなに長引きはしなかった」という議員、「いや、徹底して北に譲歩を迫るべき」という議員。
 国家としては平和裏に解決していったほうが、将来的にもやりやすいんでしょうが、家族のあの熱意を受け止めると、そんな政治的妥協は出来ない気がします。
 明朝の辻立ち7時20分立野、8時高森、8時20分白水。