私は貝になりたい

2006年05月30日

 女房が大津町の図書館からビデオを借りてきましたので、久々にビデオ映画を見ました。1959年、昭和34年の映画「私は貝になりたい」です。フランキー堺、新珠三千代主演によるものです。
 舞台は土佐の高知の小さな町。時代は戦前、太平洋戦争末期。フランキーと新珠が夫婦で散髪屋さんをやっています。子供は一人。豊かではないけれど、二人で一生懸命働いて、親子三人が戦争の貧しさにも耐えながら生活しています。散髪屋ですので、人も集まって来て、貧しいながらも懸命の楽しい家族生活でした。
 しかし、赤紙の召集令状が来ます。軍隊へ。ある日、入隊先で空襲をした米軍機が墜落、パイロット二人がパラシュートで脱出しますが日本軍に捕まります。けがもしていましたか縛られて、軍隊で処刑することになります。兵隊が並ぶ中、いつも愚図でドジなフランキー堺が、処刑執行人の一人に指名されます。「人一人くらい殺してみろ」というわけです。銃剣で突くことを命ぜられますが、優しいフランキーはなかなか突くことが出来ません。殴られながら、意を決して米兵を突きます。そのとき米兵はケガですでに息絶えていたんですが・・。
 戦争が終わります。フランキーは生きて帰ります。そして、再び親子三人の散髪屋生活が始まります。しかし、ある日、米軍が来て、殺人罪で逮捕されます。米兵を殺した罪です。「自分は命令に従っただけ。すでに米兵は死んでいた」と訴えますが、通りません。上官たちも「自分が手をくだしたわけでない。命令でフランキーを執行者に指名しただけ」と次々に言い訳をします。裁判の結果は、全体の指揮を執った中将と、手を下したフランキーが「死刑、絞首刑」です。
 散髪屋がある町の人たちが嘆願書を出し、サンフランシスコ講和条約締結を前に、無罪のムードも出てきてフランキーも喜びますが、それもつかの間、講和条約前に一括して死刑執行となります。
 絞首刑の階段を上りながら「俺がどんな悪いことをしたんだ。もう一度家族と楽しく暮らしたい。散髪屋に来るみんなとわいわい騒ぎたい」と泣きじゃくります。しかし、それもかなわぬことと分かると「次に生まれるときは、楽しい家族との思いや仲間との友情など何も知らない方がいい。そうだ海の底深くに眠る貝になった方がいい。次に生まれるときは私は貝になりたい」とつぶやきながら、絞首刑台に上っていくところで終わります。
 たぶん実話でしょう。重たいテーマです。昭和三十年代は戦争の反省からこのような映画が、作られていたのでしょう。名作です。戦争の持つ矛盾、靖国神社に祀られている戦犯と参拝の問題、いつも馬鹿を見る庶民、いろいろと考えさせられました。
 明朝の辻立ち7時30分小国、8時南小国。