ダ・ヴィンチ・コード狂想曲
2006年05月19日
東京で驚いたのは、明日、5月20日世界一斉に上映される「ダ・ヴィンチ・コード」の広告一色だったことです。ガソリンスタンドやコンビニには熊本でも、「ダヴィンチ」ののぼりが立てられていますが、東京になると、「モナリザに隠された秘密」や「最後の晩餐が訴えるもの」といった、映画をあおるポスターやチラシがどこそこに貼られ、配られていました。「ダヴィンチ」を見なければ、話題にもついていけない、と言わんばかりです。
こんな仕掛けで、話題が作られそれが地方に広げられるのだなあ、と感じました。昨年のあの、総選挙と似ています。東京で集中的に話題作りをしてそれを全国に広めていく、儲かるのは東京の話題作りをした会社、と言うことになります。話題作りのためには、多くの投資が必要です。どうしても、東京や大企業にもうけが集まっていく、と言う構図になってしまいます。小泉さんも知ってか知らずか、この手法で議席を獲得したのかな。
しかし本を読んだ者としては、あの大作をどうやって映画にするか、興味津々です。本を読んでいないと、訳が分からないのでは、とも思います。また、キリスト教、特にカトリックとプロテスタントの知識無しで見るのと、キリスト教国家の国民が見るのとでは、その感じ方が大きく違ってきます。単なるミステリーにもなるし、宗教やキリストを考えさせられる映画にもなるし、ヴァチカン批判の映画にもなるし、そんな意味ではまさに話題豊富です。
私は、昭和54年牛深支局に赴任したとき、管轄が牛深市、河浦、天草町の三市町でした。天草・河浦は以前の隠れキリシタンの町です。河浦には有名な崎津の天主堂、天草町にはこれも有名な大江天主堂がありました。牛深にも教会がありました。大江の教会に新しい神父さん(外国人)が赴任してきたと聞いて、取材に行きましたが、その時初めてカトリックは神父さん、プロテスタントは牧師さんと呼ぶことを知った程度です。大江と崎津は神父さん、牛深は牧師さんでした。
ただ、今も強烈に覚えているのは大江の神父さんに「前任地はどこでしたか」と聞いたとき、確か、「アイスランド。北ヨーロッパの小さな教会にいた」と答えられました。布教のためなら世界のどこにでも行くという、聖職者の使命感に驚き入った次第です。
とにかく、しばらくは「ダ・ヴィンチ・コード狂想曲」が続くでしょう。話題に乗せられ、そのうちに見てみたいと思います。