熊本とは何か

2006年04月13日

 二日前東京の友人から電話があり、「熊本はひどいところだなあ」といきなり言う。何のことだ、と言いますと、「アエラを見てないのか」と。アエラとは朝日新聞社が出している週刊誌のようです。「そっちでも売っているだろうから良く見ておけ」と言いました。調べたら東京と熊本では発売が二日ほど違い熊本ではまだ売っていませんでした。
 昨日、そのアエラを読みましたが、うーん、熊本の痛いところを突いてある。官に弱い。自立の精神が少ない。強権的な政治が多い。それでいて官は何もしない。その代表的、具体的な例を、過去、現代と取り上げてありました。細川時代からの習性もあります。
 何故そういう風土になるのか。これは難しいところですが、例えば、鹿児島県と比べると分かります。鹿児島は、東京や京都を中心とすれば、地理的に大きなハンデを背負っています。このためこのハンデ克服のために、官民一体となって何でもやります。明治維新がそうでした。熊本はそこまでしなくても、と言うわけです。鹿児島が努力すればその恩恵は熊本も浴することができる、と考えるふしがあります。新幹線一つとっても鹿児島が努力していれば熊本は自動的に建設されるから、と思っていたと思います。ところが、福岡・鹿児島間でなく、鹿児島から建設されて八代で止まってしまった。熊本に対する強烈なしっぺ返しです。以来熊本も少しは変わったと思っていましたが、政治の世界などでは、強権的な部分も多く、まだまだの部分も多いようです。
 自分自身も、このような政治風土を何とか足元から変えて生きたいと活動しているところです。そのためには、皆の自立する力、そしてお上に頼らない精神、まだ企業誘致や人材の配置も含め外部の力をもっと導入すること、などを考えていくべきと思います。その後も何故か、東京から「読んだか」と言う電話が多いのがまさにそれを象徴しているようです。
 一度、今週の「アエラ」をご覧になってください。今日から東京です。