豪邸の街

2006年04月05日

 昨日のテレビで民主党が鳩山邸に集まり花見の宴を開いたことを報道していました。内容はいざ知らず、画面は懐かしく見ました。学生時代あの近くに下宿をし、いつも鳩山御殿を仰ぎ見ていたんです。
 文京区目白台三丁目、と言うところに私は下宿を借りていました。少し歩けば文京区の音羽と言うところです。その音羽の一番高台に御殿はありました。洋風の何階建てだったでしょうか。とにかく、個人の家とは思えない大きさと瀟洒(しょうしゃ)な造りでした。皆は鳩山邸より、音羽御殿と呼んでいました。
 一方、私たちが住む目白台のほうも邸宅が軒を連ねていました。下宿のすぐ近くには田中角栄邸、いつも衛視が立っていました。その後ろのうっそうとしたお屋敷が、我らの殿様だった細川邸、その横が講談社の社長、野間邸、更にその横はかっての明治の元勲山県有朋の別邸「椿山荘」、さらに鹿島建設社長邸などまさにお屋敷地帯でした。
 で、私たちはどんなところにいたかというと、私の下宿は元のクリーニング屋さんです。明治、大正から続いたクリーニング屋さんでしたが、ご主人が亡くなられたことから、奥さんがそれまでの作業場を教室にして、塾として活用し、二階を三部屋下宿にされたところです。私たち三人がその第一号入居者でした。普通の家ですので三部屋は、12畳、4・5畳、そして3畳です。一番広いところにはインダストリアルデザイナー(工業製品のデザイナー)の方、その次は早稲田の大学院の方、そして一番狭いところが一番若かった私です。大家さんともども家族的な雰囲気で、楽しい下宿生活でした。今も親交は続いています。
 下宿の周辺は小さな印刷屋さん、酒屋さん、そして、小さな家並みが続き、まさに下町の風情。豪邸の街並みとは対照的でした。しかし、結構それぞれの家、商店、印刷工場で交流があり活気にあふれていました。映画「三丁目の夕日」の世界です。
 格差社会と言われていますが、格差について言えば以前のほうが格差はひどかった。しかし、それを格差と思わない、意気のよさがあったと思います。自分のおかれた中でみんな懸命に働き、楽しみ、生活していた様です。それを考えると最近、何か人をねたむ、自分で自活しようとしない、そんな空気が強すぎるような気もします。
 しかし、鳩山邸も田中邸も、山県別邸も、また今問題になっている神奈川県大磯の吉田茂邸も何故、あれほどまでに政治家が豪邸を建てられたんだろうか、と思います。それだけ政治と経済が一体化していたということでしょうか。国鉄、電電公社、専売公社、全ては国有。国の政治家の意のままになっていたのかもしれません。そう考えると政治と経済の分離、そのための民営化は、国民の生活とフェアーな競争の上からはもっと進めなくてはいけないようです。
 明日の辻立ち7時20分山鹿、8時鹿本。