体験的政治家
2006年03月28日
この三日間なぜか、日記を書く暇がありませんでした。やはり年度末、そして花見のシーズンなど色々と、忙しかったんだろうと思います。自分ではそんなに感じないんですが・・
日曜日は元国土庁長官、故東家嘉幸先生をしのぶ会がありました。自民党の熊本県連が行ったもので出かけました。東家先生は熊本二区から衆議院議員に出馬されました。当時は中選挙区制でしたので同じ熊本二区からは園田博之先生が出馬されておられ私は園田派でしたので先生となじみは薄かったんですが、小選挙区になって親しくなりました。選挙で相対しているときは、相手の悪いところばかりしか見えないんですが、親しくなるといいところが見えてくるから不思議です。私が衆議院に当選すると、上京された時は私の部屋に来て長時間、話していかれ自分の派閥の長であった河野洋平衆議院議長を紹介されたりもしました。そして、最後は私の、益城町の親戚が東家先生の親戚でもあることも分かり、「俺とお前は親戚になった」「俺の親戚が衆議院の一年生だから頼む」と色々な方面に呼びかけてもいただきました。政治家はうまいものです。
その東家先生、15歳で満蒙義勇少年開拓軍に志願され旧満州で苦労され、そしてシベリアに抑留、帰国後企業を起こし、高度成長の波に乗って企業は成功、その後、政治家に転身され、国土庁長官までされると言うまさに、立志伝中の人物です。田中角栄さんの歩いた道です。このような政治家が戦後数多くおられ、日本の政治や、自民党を形づくってこられたんだと思います。そこには政治と経済の関係、そして官僚との結びつきがあったからこそと思います。しかし今は、政・官・財が分離しました。以前のようにうまくはいきません。またこのようなタイプの政治家も減っています。
しかし、人間として、政治家としてみるとそのたくましさ、皮膚感覚、人を思う気持ちは、今の官僚政治家や、二世、政策だけを勉強する政治家とははるかに違います。政治は政策と同時に、権力闘争であり、いくさでもあります。全てを備えていなくてはいけません。このようなタイプの人材が政界から消えると、何か突発的なことがあったとき、経験と度胸が無いので、教科書的政治家では混乱を収拾できないことになります。
今の民主党がそうです。もしメール問題で、永田議員が東家さんだったらどうだったか。まず、メールを持ち込んだ人物を見て、動物的にこいつはダメだ、と分かったでしょう。仮にそれが分からなかったとしたら、その後メールが偽者だとは絶対言わなかったでしょう。何とかごまかしながらも「黒をシロ」といい続けたでしょう。それでも、もうこれ以上続かないと感じたときは、かっこよく辞められたでしょう。政治を体で経験してきた人、とはそういうものだと思います。自分の非は、自分が間違っていると分かっていても認めないものです。そして一方で正当化していくものです。そしていよいよというときには裸に戻る度胸があります。そこが、未熟さと、正義感と狡猾さがない交ぜになった、今のエリート育ちの政治家と違うところだと思います。
まだ書きたいことはあります。しのぶ会以外にも、いろんなことがありました。長くなりますので次に書きます。「一粒で何度もおいしい」方法で書いていきます。
明朝の辻立ち7時20分菊池、8時過ぎ大津。