衆議院議員逮捕

2005年11月29日

 衆議院議員の西村慎吾さんが逮捕されました。自分の弁護士名義を無資格の人に貸していた弁護士法違反の容疑です。
 西村さんは歯に衣着せぬ言動で知られていました。私が所属していた「安全保障委員会」にも時折顔を見せられていました。
 日本の核武装など、極端な右よりの発言でマスコミが注目し、テレビタックルなどマスコミへの露出度も高かった方です。今、政治家が目立つ言動、極端な行動をとるとマスコミが注目します。スタジオへの出演依頼もきます。政治家は選挙があります。目立ったり、有権者にメッセージを送ることはひとつの仕事ですので、すぐ乗ってきます。同僚議員の中にも「テレビタックルに出してもらえるよう今交渉しているところだ」と言っている方もいました。学者の中にもテレビ出演を働きかけている人がたくさんいます。研究の内容よりまず知名度、という訳です。
 それはそれで、この情報化社会ですので構わないと思います。政治家も学者も自分の思いのままに行動していいと考えます。
 問題は、以前はこういった看板政治家は看板として、国民の方の関心をかい、極端なことを言いながら、一方できちんと手綱を締めながら実務的に仕事を進める政治家がいました。看板議員と実務議員の役割分担があったと思います。
 しかし今、マスコミに出る看板議員がそのまま政治にこれまで以上の影響力を持ってしまうということが余りにも多すぎやしないか、と感じます。
 報道は見てもらわなくてはいけませんし、読んで貰わなくてはいけません。そのために読者や視聴者が喜ぶようなひとを活用します。しかしこれはあくまでマスコミ用です。そのことはマスコミ自身が一番良く知っています。新聞記者時代、談話を取るマスコミ学者は決まっていました。リストがあったんです。この事件にはこの学者の談話、この政治的出来事はこの学者と読者がうなづくような学者が決められていました。また学者も新聞の要求する期待に応えて談話を述べてくれます。
 それは一種のマスコミ商業用手段なのです。それに政治家や学会が乗せられてはいけない。やはり政治家は数ある意見の中で現実に社会を、動かしていかなくてはいけない。そのための慎重さと、思慮深さが必要です。世論に応えながら、堅実に動かしていく人や組織が欠かせません。それがいま、マスコミに出たこと、言ったことがそのまま政治になっていきます。透明性という上ではいいと思いますが、余りエスカレートすると人気取りだけの政治いわゆる「ポピュリズム」となり、本質を見失ったり、将来つじつまが合わないことになってしまったりすると思います。マスコミが今後、西村議員をどう取り扱っていくか興味を持っています。第二のハマコー扱いになるかもしれません。
 明朝の辻立ちー7時20分西原村交差点セブンイレブン前、8時10分高森町高森バイパス交差点アスカ近く