郵政民営化問題

2005年10月12日

 郵政民営化法案が昨日衆議院を通過しました。この1年もめにもめ、引いては衆議院の解散、総選挙、刺客騒動、自民党除名処分問題、派閥の解体と「郵政問題」を渦の中心にしてさまざまな政治現象を巻き起こした問題でした。
 一人勝ちは小泉総理です。自民党は小泉ブームで大勝、目の仇にしていた抵抗勢力の代表格だった亀井、橋本両派が事実上解体、そして郵政の民営化は実現しました。時代の流れもあるでしょう。環境もあるでしょう。しかし小泉首相の信念と執念が日本を大きく動かしたことは事実です。もし、小泉純一郎という政治家がいなければ、このような政治現象も起きなかったことでしょうから。舌鋒鋭い田中真紀子代議士も顔色なしと言うところでしょう。しかし、政治的に、このような現象が日本の将来にとっていいのか、悪いのかはまた、別の問題です。
 このなかで一番教えられたのは、守りに向かうのではなく、未知の分野に向かって挑戦するほうが、その力がはるかに強いということでした。郵政反対はいろいろ理屈を付けても、今の制度を守ろうというものです。しかし、民営化は、良くなると信じ込んでとにかく変えよう、というものでした。守りと攻め、煎じ詰めればここに、帰着します。幕末「とにかく幕藩体制を変えよう」と突き進んだ志士たちと「守りながら変えていこう」とした幕臣たちの勢いの差と同じです。
 村上ファンドと阪神タイガースの株上場も同じような現象です。日本でこのような現象が次々起きてくるでしょう。そのまま突き進んでいくことが日本のためになるとは思いません。しかし、情報通信の発達と技術革新による生産体制の変革は好むと好まざるにかかわらず、市場化、自由化に向かわせます。
 政治の役割も自ずと変わってくると思います。政治が社会を引っ張り造り上げていくというより、情報、技術、経済で引っ張っていく社会を、政治がどう修正していくか、ということになっていくということになりはしないのでしょうか。一部の投資家や大資本のための国つくりや社会形成でなく、国民全体を見てどういう方向付けをしていくのかが政治の大きな役割になってきます。
 それだけに、全体を見る目、生活の真髄を見る目が政治家には必要です。情報化社会の行方を十分に把握しながら、一方で生活の実態、教育の現状を小まめに知り尽くす努力を怠ってはいけないと考えます。
 国民も、政治家も、経済人も情報社会の中の仮想現実・バーチャルリアリティーの中に落ち込んでしまうのが最も危険な状態と考えます。