就職問題
2007年05月08日
私の事務所は特にでしょうか、とにかく就職の依頼が多い。最近特にそうです。政治は就職などを斡旋するのが仕事ではありませんが、リストラにあった方、何らかの理由で会社を辞められた方、高校・大学の新卒の方などが、「ハローワークに行っても情報は限られているし競争率も高い」「派遣社員では将来に不安で生活も出来ない」「学校にだけ依存していても県内の求人はあまり来ていない」など理由でワラおもすがる思いで来られると、多くの精力を傾けることになります。
私たちは必ず本人と会うことにしています。そして「何をやりたいのか」「どんな企業を考えているのか」「自分でどれだけ探したのか」などを聞きながら本人がどれだ働く意欲をもっているかを探ります。そして営業向きか、流れ作業が良いのか、肉体労働が良いのか、をスタッフで考えることにしています。
大企業で安定したところが良いにきまっていますが、競争率は高くとても入れるものではありません。しかしどこかの企業があるはずと、私達の情報力を駆使して、必死で企業を探し情報として提供する、ということにしています。ハローワークを一歩踏み込んだ役割ですが、みんなの生活を考える、というのが政治である以上そこまではする必要があると考えます。
しかしそんなことをやりながら思うのは、今の若者に「働く」ということの選択の幅が狭まっているな、ということです。
大企業あるいは経営的に堅実な企業は指定校の人材か即戦力となる能力ある人しか採用しません。そこで既に振り分けられます。後はそれぞれが探していくしかありませんが、派遣だったり、零細企業で厳しい労働条件だったりします。そこで頑張れる意欲があれば良いんですが、生活環境は贅沢になっているし、歯を食いしばって、ということはなかなか通用しなくなっています。
だから独立の夢を持って何かに取り組もうにも社会の仕組みが既に固まっていますので、よほどの能力がない限り、その夢も実現できません。30年前ならまだいろいろな夢があったんでしょうけど、その範囲は狭められています。
結局、フリーター、派遣労働で生活し、収入が足りない分、親の援助を仰ぐ、ということになります。だから再チャレンジ計画、でしょうが再チャレンジとは別のもっと構造的なものがあります。
今、私達に出来ることは出来るだけ本人の特性や、やる気を見抜き、あるいは喚起してミスマッチがないように、きめ細かに仕事を紹介していくという作業を続ける以外にありません。本来なら学校やハローワークがやるべき事でしょうが、これらは役所機関ですのでやるべき事をやった、で終わり。私達は身近に支持者としておられる方ですので、親身になって最後の最後まで見極めて納得してもらわなくてはいけません。やはり頼られることになるんでしょう。それも政治の一部です。
明朝の辻立ち7時20分西原、7時50分高森、8時20分立野。