右派の表舞台登場

2007年04月26日

 今朝の新聞で「集団的自衛権」を検討するための安倍総理の私的諮問機関として「有識者会議」が設けられた、という記事が掲載されていました。「集団的自衛権」については私は容認されるべきであり、その前提は憲法の改正、と考えていましたので、現憲法のままで解釈により、集団的自衛権を検討し、結果としては容認するという結論に達するのでしょうが、解釈論を先にやっておくという方針を出したことには驚きました。
 しかしそれは「集団的自衛権」を認めるに当たっての手法の違い、先に解釈あろうが、憲法改正あろうが認めようというんだからいいじゃないか、という理屈も成り立つと思いますので、有識者会議を立ち上げたことについて賛否を戦わせることはあまり意味がないかも知れません。
 問題はそのメンバーです。「容認」の結論ありき、だからこのようなメンバーになるのでしょうが、私たちの世代・年代からすると「右派」といわれていた方がほとんどです。
 日本はどうしてもこれまで中道の道を歩いてきました。それに対して「そんな国家として主体性のなさではダメだ。国家像をしっかり表わしていくべき」と言われ、左翼系の評論家に対する右翼バネとしての論客たちが今回のメンバーです。このため右寄りの月刊誌に登場され、戦後政治の脱却を述べられておられた方がほとんどです。
 私などは、思想的な問題が起きたときの判断として、右派の方々の論評を読み、一方で左翼の方の論評を読み、左右読み比べて自分の座標軸を決めていました。
 しかし、右派とレッテルを張られてきた方々が、こうも堂々と政権の中枢に登場されると、左右の判断が出来なくなります。そんななかでの集団的自衛権論議や憲法論議が行われることにやや危機感も持ちます。
 憲法改正は進めるべき、集団的自衛権も認めるべきと考えますが、日本の性格としてどうしても国粋主義に走りがちです。あくまで国際協調主義のなかで、いかに日本の進むべき道を考えていくかが、もっとも大事なことだと思います。
 明朝の辻立ち7時30分植木町。