障害者自立支援法

2006年11月07日

 障害者自立支援法は私が国会議員の時、委員会で可決しました。しかし衆議院解散となり、廃案となった後に総選挙後に可決成立し、今年の4月から施行されています。
 しかしどうも評判が良くない。障害者にも施設も不満だらけです。もちろん障害者に対する予算を一割カットしたため、その分を障害者が負担するという図式ですので、負担がかかる障害者側からは不満が出るのが当然です。しかし、施設の方も不満たらたらのようです。障害の程度によって支援費が違ってきますし、施設の運営も経営というのを重視してやらざるを得なくなります。特別養護老人ホームが介護保険による支援費のランク付けで、体が動かない重度の老人を入所させている方が経営的に楽で、軽度の高齢者が敬遠される傾向にあるのと似ています。
 しかし、先週と今週の日曜日にスペシャルオリンピックスの見学をさせてもらいながら、障害者予算を高齢者予算と同じような発想でカットして良いものだろうか、と改めて思いました。高齢者については高齢者に至るまでの人生の過程がある。老後に備えて様々な準備をすることは自己責任の一つでもあります。しかし、知的、身体、精神の障害を問わず生まれながらにしてハンデキャップを抱えた方や不慮の事故や病で障害を持つことになった方を、「財政の論理」でカットすることが果たして政治のやることだろうか、と思いました。その分野を聖域に、とは言いませんが慎重な対応が必要です。
 土曜日は前の秘書の田中君の結婚式。彼の弟は障害を抱えています。しかし、披露宴の時、同じ仲間とユニフォームを着てラップダンスを披露してくれました。
 披露宴も半ばの頃。ふつうの歌や踊りなら酒宴の席の雑音の中に埋まってしまいますが、必死にラップを踊る弟君たちにみんな乗せられ、参加者250人のほとんどが手拍子となりました。弟君たちはますます張り切ってステージから転げながらハッスルしました。終わって割れんばかりの拍手。弟君が「兄ちゃんおめでとう」と拳をあげると、出席者は涙でいっぱい。
こんなに会場をまとめてくれるのも、障害にもかかわらずその成果を見てもらおうとする必死の努力にみんな心打たれるからに他なりません。「彼らにこれだけやれるのに自分たちも」という勇気とやる気と反省を健常者に与えてくれるのです。彼らのステージだからこそです。
 これほど一体になれる、そしてお互いに励まし合える。そんな心の触れあいや感動を「財政の論理」で身もふたもないようにしたくありません。弟君たちに負担感を与えずもっとのびのびと活動してもらいたい。障害者自立支援法はそのような思いを断ち切る官僚の冷たい計算の臭いがします。対策を考えましょう。
 明朝の辻立ち7時20分西原、8時菊陽役場北。