久々の牛深・天草

2024年08月07日



 8月3(土)4(日)日、天草市牛深を訪れました。20年近く前に行って以来です。牛深は私の母の里であり、私自身も牛深生まれです。しかも昭和54年から57年まで熊本日日新聞の牛深支局長として取材活動をしていましたので懐かしさも手伝ってお墓参りを兼ねての牛深行きだったんですが、ちょうど天草市牛深が水産庁の事業である全国12か所の「海業振興モデル地区」に指定されていることから、現場も視察したい、と思っていました。このため天草市の馬場昭治市長らも駆けつけ牛深の海業の計画を説明していただきました。

【牛深の海業(うみぎょう)構想
 「海業」は、海や漁村の地域資源の価値や魅力を活かし、漁港の賑わい創出、漁業地域の所得向上や雇用機会の確保を目指す、水産庁の目玉施策です。水産、マリンレジャーやマリンスポーツの施設、飲食など海に関する施設を集約するのもその有効な手段です。牛深の海業は現在の荷捌き施設や製氷施設を解体して、子どもたちが楽しめる様々な海に関する施設を建設し、牛深を活性化させようという構想です。馬場市長からは、全体構想と同時に「海業推進のための国の助成金が対象になるようにして欲しい」「牛深にとって最後のチャンスと思うので予算の確保をお願いしたい」という要望もいただきました。
また、漁協や養殖漁協、地元県議、副市長らで構成する「牛深海業協議会」の方々とも約1時間半意見交換をしました。

浦田理兵衛一族の墓】
 意見交換に先立ち、私の一族が眠るお墓に墓参りに行きました。線香と供花は途中、買い求めました。お墓は小高い山の一番上にあり、かなりの急坂で上るのに苦労しました。石で枠を囲った広いお墓で「浦田理兵衛一族の墓」と書かれていました。墓碑には「天保6年(1835年)浦田理兵衛」と書かれていました。「母の代より5代前が初代の理兵衛」と聞かされていましたので、幕末にこの地に祖先が流れ着いたようです。

素晴らしい天草西海岸巡り
 翌4日は天草西海岸を通りました。「キリシタン文化世界遺産」に指定されている崎津集落の崎津天主堂、大江地域の西平椿公園、宮地岳カカシの里、天草酒造などを訪れました。市長も同行していただきました。
西海岸も支局長時代の管轄区域です。当時も素晴らしい景観でしたが、現在は更に、道路も整備されそれぞれの地域も地元の人が地域を盛り上げるために、特産物販売所や新たな観光名所が作らされ、私が取材のために訪れていた約50年近く前より丁寧に手入れが行われ地域も活力がありました。そして天草西海岸の雄大な眺めは変わらぬ素晴らしさがありました。
天草の焼酎はコンクールで優勝もしたという優れもので、芋、米の双方がありました。芋焼酎を飲んでみましたが普段飲んでいるものよりうま味を感じました。

課題はアクセス】
 天草空港から45人乗りのプロペラ機で福岡に向かい、福岡空港から羽田へ向かいました。2日間天草・牛深の変遷を知り、西海岸の心が洗われる風景を堪能しました。
やはり天草は良いところです。課題は牛深まで車で約3時間というアクセスですが、私たちが協力して、何とかして行かなくてはなりません。

【写真は➀海業協議会の皆さんとの意見交換➁崎津天主堂➂天草西海岸の大ケ瀬が見える雄大な海原➃天草酒造の焼酎造りの甕(かめ)➄資料館で馬場天草市長らと、向かって右から2人目➅私の祖先に当たる浦田理兵衛一族の墓】