原発事故から13年、まだまだ傷跡深く
2024年07月25日
東日本大震災による東京電力福島第一原子力発電所の原発事故から13年が経過しました。原発事故の影響はまだ残ります。居住できない「帰還困難区域」は大熊町や双葉町など7市町村309平方㎞に及びます。居住率が事故前の人口の1.8%から30%程度の町村が6町村あります。復興に向けては年2回「原子力災害からの福島復興再生協議会」を国と県共同で開いています。25日午後2時45分から福島市で第29回目の協議会が開かれ、出席のため出かけました。国側から復興に関わる復興庁、農林水産省、経済産業省、環境省、総務省から大臣ら政務3役、更にそれぞれの省庁幹部が出席しました。県側からは知事をはじめ関係市町村長、農協、商工など各団体長、県市町村団体職員ら多数が出席しました。
【懸命の努力が続く農林水産業】
協議会開会に先立ち24日(水)と25日(木)の両日、福島県内の農林水産業の実態を視察して回りました。皆さん、以前の生業を取り戻そう、以前とはまた違った新たな生産組織をつくろう、と懸命でした。
白河市の「(株)吉野家ファーム福島」は牛丼の吉野家ホールディングス49%出資の株式会社・農地所有適格法人です。地元のブランド米「天のつぶ」約48ha、キャベツなど牛丼用の野菜約10haの農場で、生産物は吉野家ホールディングスに納めています。スマート農業を展開し、雇用は16人でした。直進アシストトラクタ、ドローン、キャベツ収穫機、リモコン草刈り機などを揃え、女性の方も営農に参加しやすい体制が取られていました。私もリモコン草刈り機を操作させていただきましたが20平米くらいの雑草地をたちどころにきれいにしました。責任者は地域の元村長さんです。さすがにリーダーシップと組織の動かし方、交渉の仕方をご存じで、吉野家側とも農場・生産者側の不利にならないよう、しっかりとした交渉をされているようでした。社員の皆さんのモチベーションも高く、リーダーの存在がいかに大きいかを感じました。
【ネギの栽培に活路】
浪江町の「なかた農園」の本社は郡山です。浪江町では「一本ネギ」「青ネギ」を8ha栽培していました。農地集約型農園です。複数の圃場を持ちコメなども栽培して収益を上げています。全体の社員数はパートも含め25人、この日の浪江町圃場には5人の従業員が来てくれました。社長の中田幸治さんは「もっと集約した農地が欲しい」と意欲的でした。
【懸命の森林再生事業】
田村市では森林再生事業を視察しましたが、森林への放射性物質の影響はいまだに続いています。土中に放射性物質が蓄積していて、。それを杉・ヒノキ、コナラなどの樹木が吸収します。同時に特用林産物であるキノコなども吸収します。このため40年以上の杉山を間伐して森林を整備します。そして放射性物質を含む土壌の流出を防止するための柵の設置が実施されていました。
コナラはしいたけを生産する原木としてこれまでシイタケ農家に供給されていましたが、放射性物質を含むためそれが出来なくなりました。このためチップにしてバイオ発電所に搬入しています。シイタケ農家にとっても原木を他地域から取り寄せなくてはなりません。二重の被害です。
加えて田村市一帯は良質のマツタケや各種キノコの産地でした。キノコはまさに腐葉土で育ちますので商品になりません。貴重な収入源が断たれています。森林は永年かけて出来上がるものです。それだけにいったん放射性物質の被害に遭うとその影響の期間は農水産業の比ではありません。それでも森林組合長、市長さんらは前を向いて今後の林業従事者の育成に心血を注いでおられました。
【漁業・常磐もの復活へもう一息】
2日目の25日午前10時から、いわき市の小名浜港内にある小名浜魚市場で漁業関係者の方々(漁業者、加工業者等)と意見交換をしました。福島県漁連の会長らとは今年の2月にも意見交換をしていたのですが、今回はさらに時間をかけて幅広く意見を聴きました。
2月時点では後継者に対する不安、また造船所が被害を受けていましたので漁船のメンテも出来ない状態で早期の造船所再開を希望されました。今回は後継者はかなり戻ってこられたようです。また造船所再開についてもメドが立ったようでした。
ただ中国をはじめとするいくつかの国々が、ALPS処理水の放出を盾に日本産魚介類の輸入規制をしていますので、早期規制措置の撤廃への要望、国内においては年々低下する魚の消費に対しての不安から「何としても国が音頭を取って消費拡大して欲しい」という要望が出されました。
昼前まで意見交換をし、そのまま小名浜港内の「いわき・ら・ら・ミュウ」に行き、魚介類販売所を見学し、食堂で昼食を取りました。福島沖の魚は「常磐もの」と言われ、東京などではブランド化しています。昼食には特産の「メヒカリの揚げもの」「ヒラメやミズダゴなどの各種刺身」「メイタガレイの煮つけ」などが出ましたがやはり美味い。九州の魚とはまた違った味がしました。
加工業者から「安定して供給が出来ないという事で取引先から契約を打ち切られた」という意見も出されました。震災前と比べて漁獲量ではまだ26%、漁獲高では43%の回復率だそうです。更なる漁獲の回復を果たしていかなくてはなりません。
【それぞれの地域で必死の対応】
その他、大熊町の避難指示解除区域の圃場では、営農希望者を募りいかに今の営農の規模拡大に結びつけるか、の試みが行われていましたが、外部から営農希望者があるものの共同利用施設や収納のための倉庫など関連する施設がないことから、断念せざるを得ないという悩みも聞きました。圃場と施設はセットです。野菜のカット工場、地元産米をパックにする「パックご飯工場」なども視察させていただきました。
最後に福島市で協議会が開催され、地元の知事、市町村長からの現状報告と要望、併せて各団体からもいただき、担当する各大臣や副大臣政務官がそれぞれについて回答しました。
【地域の頑張りと未来への展望】
原発事故以降13年経っていますが、それぞれの地域で出来うる限りのことを実行されている様子を肌で感じました。しかし、被害が甚大で歴史上経験したことのない性質ですので、模索しながらの対策でした。やはり国が先頭に立って様々なことに政策と予算、マンパワーを注ぎ込まなければ到底復興は出来ません。
地域と国の両輪をしっかり回して行けば、新たな福島県の未来が見えてくることも確信しました。常に現場の状況把握が大切です。
【写真は➀吉野家ファーム福島の専務取締役・農場長滝田国男さんと➁なかた農園の社長と若手従業員たち➂漁協職員による鮮魚の放射性セシウム自主検査➃「いわき・ら・ら・ミュウ」で昼食「常磐もの」がうまい➄地元産米を材料にしたパックご飯工場で】