小泉さんの後世の判断は

2006年08月16日

 16日はまだお盆休みが多いのでしょうか。辻立ちは予定通りでしたが、車通りは少なく、力の入れ具合もいまひとつでした。
 昨日の小泉さんの靖国参拝を見ながら、昨年の衆議院解散を思い出しました。森前総理らが必死に止めるのにも耳を傾けず、ひたすら、自らの思う所に向かう。それと同じ光景でした。好きなんでしょうね小泉さん。荒野の中をたった一人で突き進むという、孤高の生き方が。小中、高校生のときから友人をつくらず、一人で生きてきた、というタイプの方だから政治家になってもそのスタイルを貫き通すことが出来るのでしょう。個人としての人気はまた上がると思います。
 しかし、後世がそのような総理をどう判断するかは、別問題です。ただ大きな節目の時代、「時代が求めた総理」ということは言えるかもしれません。
 日本の戦後の歴史もやはり重要な時代は、時代がその時代にあった人物を求めています。戦後復興期の吉田茂、安保改定時の岸信介、高度成長の走りの池田隼人、真っ只中の田中角栄、戦後政治の決算と経済政策の転換期の中曽根康弘、と続きます。短命の政権はどうしても印象に残りません。また佐藤栄作は長期政権でノーベル平和賞ももらったんですが、どうしても日本の改革という点では特性が思い浮かばない。中曽根政権は本当は時代が求める人物像ではなかったと思いますが、後藤田正晴や官僚の意見をいち早く採り入れ、国鉄の民営化などを進めました。靖国神社も一回は参拝したんですが、中国の反発ですぐ止めた。時代が求める人ではなかったけれど、変わり身の早さが結果として良い方向に進ませた、と思います。
 細川護煕政権はまさに、時代が求めた政権でしたが、時代の期待に反して屈してしまいました。準備が整わなかったのか、能力がなかったのか。日本の政党政治の中でその責任は大きいと思います。
 そう考えると小泉純一郎という人は、時代が求めるとおりに動いた、といえるかもしれません。バブル後、行き詰った経済運営、そして自民党の悪しき慣習、また派閥による馴れ合い政治の中で、自由な競争による経済浮揚、自民党をぶっ壊す、という孤高の姿勢、また急速に広がった「ネット社会」の活用。時代を先取りする経済人たちの集まりである「経済財政諮問会議」の意向通りに動いていった。評価としては「時代を巧みに利用した、時の風雲児」ということになるかもしれません。
 次はどんな人材を時代は求めているのだろうか、と思います。これまでの改革路線の延長はまだ必要です。しかし、改革と同時に「保障」というのが時代のキーワードになってくるようにも思います。競争に参加できにくい産業や地域、人たちをどう保障して、そして自立させていくか、その準備をしていないと、スラム街が出来、人身が荒れ、犯罪や感染症、テロなどの温床になる地域や職種が出てくる。そうすればそれを巧みに利用する黒い集団が政治と結びつくようになって、やがて物言えぬ、そして非常に不安定な政治になってくるように思うのですが・・。
 明朝の辻立ち7時20分西原、8時高森、8時20分白水。