敗戦の原因
2006年08月14日
昭和6年の満州事変から始まる「日中戦争」、そして昭和16年から始まる「太平洋戦争」。本来は別のものですが、一緒に考えられています。それはそれでよいでしょう。「東洋文明と西洋文明が衝突する世界最終戦争が来る。それに東洋文明が勝利して初めて世界に、物質文明でない東洋の精神を中心とした世界平和が訪れる。その先頭に立つのが日本だ。そのためには、国土の狭い日本としては中国、特に満州を戦争継続のためのエネルギー補給地域として確保しておかなくてはいけない」という満州帝国関東軍参謀の石原莞爾の「世界最終戦争論」などで正当化されて始まった「日中、日米戦争」ですから。
しかし、最終的にはこの論理も、満州を大和、漢、朝鮮、満州、蒙古の五つの民族、5族協和による王道楽土にする、という「大東亜共栄圏構想」も敗戦で吹っ飛んでしまします。
何故負けたか。色々なことが言われていますが、煎じ詰めれば日本の「官僚制」が最大の原因と思います。
「官僚制」のいい所は、①説得力のある計画を描くことが出来る②計画に沿って最短距離と時間で効率的に実現までこぎつけることが出来る、と思います。
一方悪い所は①現場の実態を重視しない②自分の方針を変えない③間違っていたと分かっていても謝らないし、自らの責任を取らない④セクト主義になり情報を公開しない、などと考えます。
日中・太平洋戦争を見てみるとまさに、その官僚制の良い面、最悪の面が出ています。その当時は役人の幹部はは明治政府が国家指導者養成校。東京大学を優秀な成績で卒業した人物、軍人幹部は陸士・陸大、海兵・海軍大学をこれまたトップで出たいわゆる「恩賜の軍刀組み」。頭脳だけを取るならこれ以上の成績を持った人間は、日本にはいない、というメンバーで構成されていました。まさにガチガチの官僚国家でした。ですから明治維新後、わずか50年足らずで欧米に肩を並べる所まで来たのだと思います。
「説得力のある計画」まさに「世界最終戦争論」や「大東亜共栄圏」がそうでした。「最短時間で完成させる」は「満州帝国の建設」や「真珠湾攻撃」がそうでした。瞬く間に一つの国を造り上げ、またハワイの軍事基地を壊滅させました。ある一定時期までは、官僚の力はものすごいものがあります。さすがと、舌を巻きます。しかし、一定時間を過ぎると、官僚の発想や実行力にかげりが見えます。それは「人間の本性」を抜きにしたり、逆に忌み嫌う形て計画され、実行されているからです。
一定の時間がたったとき「現場の声の重視」「垣根を越えた総合力」「間違いを訂正する勇気と責任者を明確にする厳しさ」「情報を公開して広く知恵を求めること」が必要になります。先の戦争ではまさにその悪い面を最後まで引きずっていきました。
①燃料も弾もないという、現場の声に耳を貸さず精神論だけを強いた②海軍と陸軍はそれぞれに作戦を立てお互いの協力は少なかった③作戦失敗も覆い隠し、エリート軍人の仲間意識で一つ一つの作戦で責任を誰もとろうとしなかった④陸軍、海軍共に大切な情報は隠し、都合のいいことだけ大本営で発表させた⑤最後まで自分の考えは間違っていないといい一億玉砕まで主張した。
まさに、現場を重視しない、柔軟な考えも持たない、一度計画を立てたらその通りにやることだけを仕事と思う、官僚特有の考えが、戦争が長引くにつれて敗戦へと向かわせたといってもいいと思います。
同じようなことが今の政治にも行われていないでしょうか。戦後の奇跡の経済復興はこれは官僚の得意技です。しかし、安定期に入った今、現場の声をもっと重視し、柔軟に対応し、そして責任を明確にし、国民の声を広く求め、改める所は改めていかないと、先の戦争と同じ過ちを繰り返すと思います。
明朝の辻立ちはお盆のため休みます。