私にとっての神社
2006年08月13日
国を靖(やす)らかに守る招魂を神社と言うかたちで「靖国神社」としたのは、大いなる政治的意図があります。本来なら「靖国公園」でも「靖国墓地」でも「靖国苑」でも「靖国会館」でもよかった。それを神社というかたちにした所に明治国家の特異性があります。
私にとっての神社は、願いをかなえてくれるために、参拝する所です。私の所の氏神様は「窪田日吉神社」です。小さいころからの遊び場ですが、何かお願いに行くときはここにお参りをします。選挙のとき、まず祈願をするのは「窪田日吉神社」です。それは私たちの地域の守り神だから。そして私のルーツでもあるからです。少し大きな願いをするときは、その兄き格である「大津日吉神社」にいきます。選挙の出陣式はここでします。更に大きな願いは、「日吉神社」の本社である、滋賀県大津市坂本にある「日吉大社」に足を運びます。国会議員のときは行きました。
つまり、自分たちの守り神は「日吉神社」である。だから心弱い人間は、自分の守り神に対して、願いをかけます。
神社とは本来そんなものです。素朴な庶民の心のよりどころ。霊的存在と会話するいわゆる「シャーマニズム」の具現化と思います。
実際は庶民のそんな信仰心を利用して、その地域を制圧した時の権力が、己の権力の誇示と庶民を平伏させるために、神社を築いたのだとは思います。わが集落は「日吉神社」隣の集落は「菅原神社」その隣は「若宮神社」などいろいろ違う神社が建つのも、権力者の違いから来るもの、と思います。しかし、それらの神社を全て束ねていたのが、明治以前の天皇家だったんではないでしょうか。
庶民が願いをかける神社、その神社の頂点が天皇家。それが庶民の天皇に対する、畏怖の念、としてあったと思います。だから時の権力者はこの神社を活用した。家康を祭った日光東照宮、秀吉を祭る住吉大社、すべて権力者が政治的に活用したものです。
これを国家として、しかも王政復古になって天皇を国家の神として活用したのが、明治政府の神道国家論、天皇親政政治、です。鎌倉時代から約770年、また江戸幕府の250年の長きにわたる、武家・幕府政治への強烈な反動だったのかもしれません。
このため、「庶民の祈願ー神社」という下からの積み上げが「天皇ー国家ー神社ー庶民」という上からの流れに変わっていきます。その過程で明治政府が「別格官幣社」という、天皇直属の新しい神社をつくっていき、神社と一体になった国家をつくっていきました。
わたしのような千年以上前からある「日吉神社」を崇拝している人間からすると、明治以降に出来た神社「別格官幣社」はどうも、人工的な臭いが近すぎて、馴染めません。「靖国神社」もその一環でもあります。
そしていわゆる「分祀論」にしても宗教上の考えからは、絶対に出来ない、と言われています。果たしてそうでしょうか。以前の神道、神社は庶民のものであり、もっと柔軟に対応できたと思います。それをかたくなな、教条主義で「出来ない」というのは、明治以降の国家神道の教義に縛られているからではないでしょうか。
神社の元締めが天皇、その天皇が「合祀」を批判し、そして靖国に参拝されない、という状態にある今は、神道としても異常な部分があるのではないでしょうか。
明朝の辻立ち7時20分植木町。