共同作業と集落の効果
2006年06月11日
・・昨夜は私達の地域では、麦刈りがほぼ終えましたので、いくつかの集落でご苦労さん会があったようです。私も「ちょっと顔を出さんか」と誘われていましたが、私の集落の50歳以上でつくる親睦会がありましたのでどうしても出席できませんでした。
・・麦畑だったところは、刈とった後焼かれ、肥料をまいたあと、トラックターで耕され水か入れられています。水張りをして田植えを待つばかりです。水が一面に張られた田んぼを見ると何かしら、営みの躍動を感じます。田植えが始まり、皆が共同作業をしているのを見ると、農村地帯の希望に満ちた良さを感じます。やはり働くことの楽しさは、みんな生まれながらにして持っているし、一緒に働くことがどんなに素晴らしいことかを教えてくれます。
・・そういう意味では、麦刈りのご苦労さん会は、田植えに向けての結団式であり、共同意識を改めて確認するもののようです。最近は農業従事者が少なく、以前のように集落挙げての共同作業、とは行きませんが作業や打ち上げは出来るだけ、非農家にも広く呼びかけて行いたいものです。
・・問題は採り入れの後、米も麦も価格が安いこと。また野菜も含めて農産物の価格が安すぎる。費用対効果ならぬ労働生産性が益々低くなっていくのをどうするか、です。せっかくの集落の良さも、余りに働いた甲斐がないならやはり、バラバラになっていきます。
・・集落の良さを維持していくことは、これ程治安が悪くなったり、拝金主義になっていく中で単なる維持とは異なった役割を持っています。そのためには、集落とそこに住む住民が食っていけることが大切。そのための政治、農政を考えていかなくてはならない。単なる机の上での理想論だけでは収まりきれない何かがあるんです。それはその地域に生活していないとわからない面があります。統計上の将来性も必要だけど、生活感覚から来る集落論、農業論も大切にしたい。
・・明朝の辻立ち7時20分菊陽武蔵ヶ丘北、8時光の森交差点。