選挙風景
2006年05月11日
合併に伴う市議会議員選挙が地元でありますので、立候補予定者のお宅をどれだけか回りました。事務所を作られているところ、自分の家の納屋か蔵を事務所にしておられる所、また自宅そのものが事務所のところとさまざまです。
変わらないのは、支持者の方が何人か詰められ、そして食事の用意がされ、激励文や当番表等が張られているところです。そして、畳の間だったり、テーブルだったりで共同で食べたり、作業をしたりするように出来ています。私たちが戦った国政選挙や、県議会議員選挙と規模は違いますが、中身、風景はほとんど変わりません。やはり選挙はこのスタイルしかないんだなあ、と思います。
しかし、コストがかかるのが民主主義です。このような選挙をして当選してきた議員が政策作りに参加していくことが、役人だけで色々決めていくことよりはるかに長持ちして、良い社会をつくっていきます。学者、役人、新聞記者は初めて当選してきた議員が余りにも、行政の知識や仕組みを知らないので馬鹿にする傾向にありますが、それは、議会活動の中で覚えていけばそれでいいこと。問題は議員になってからの努力と言うことでしょうか。
また、改めて思うのは、選挙事務所は政策に共鳴した人の集まりでなく、地域や血縁や友人の集まりと言う事です。それもまた良し。政策だけで集まった集団と言うのは何かしら恐ろしさも感じますし、ちょっとした意見の食い違いで分裂が生じます。地域や血縁、同級生、友人と言うのが皆を束ねる最大公約数でもあるようです。また、良きにつけ悪しきにつけ選挙はその地域を反映する縮図です。選挙に地域の特徴もレベルも表れます。それを維持するのも、変えるのもその中の人でなくては、外部からでは出来ません。
選挙は議員を選ぶものですが、その一方で、地域や住民を造り上げて行くものでもあるという事を改めて感じました。えらそうなことを言って申し訳ありません。
明朝の辻立ち7時20分山鹿、8時前鹿本。