血の恐ろしさ

2006年05月05日

・・やはり血と言うのは、怖くて不思議なもんだな、と思います。私たちの選挙でも、少しでも親戚と言うのが分かれば対応が違います。こちらも自然と話し掛け、そして甘えても許してもらえるような気がします。
・・血族が大きくなったのが民族。民族の問題は、親戚や一族同士の対立や融和と同様、永遠に難しい問題と改めて思います。
・・北朝鮮に拉致された横田めぐみさんの母、さきえさんがアメリカ大統領と会談したことは、私たちからすれば、民間外交の快挙と受け止めます。しかし、韓国ではそうでもないようです。今度は父の滋さんが韓国に行って、横田めぐみさんの夫と言われている人で、やはり十代のとき韓国から拉致された方のお母さんと会うようになりました。しかし、韓国政府は父滋さんと「会うことはないし、会う必要もない」と突っぱねました。北朝鮮に遠慮してのことです。政治的な思惑があるとは思いますが、やはり底流に流れている問題は民族、血の問題です。同朋はあくまで朝鮮民族であり、日本ではありません。
・・拉致と言う国家的な犯罪より、民族的な結びつきが優先します。日本とアメリカが一緒になって北朝鮮と韓国を対決させるようなことは、許されないと言うわけです。やはり血です。日本も、仮に戦後東西に分断されていたら、民族の統一と融和を最重要課題として政治が行われていたかもしれません。
・・これが中国、中近東、ヨーロッパ、アフリカとなると多民族が同居しています。しかも、それに宗教、宗派の違いと対立か重なってきます。これらを平穏にして、政治を行うことは本当に難しい。2000年以上経っても何一つ解決されていないんですから。
・・それにしても、日本とアメリカは民族も、宗教も180度違います。こちらも、一つ間違ったら六十数年前に戻ってしまいます。友好、同盟を結びながらも、用心の必要も、とも思います。それにしても、これ程、日米が友好的なのはなぜでしょうか。日本人のアメリカ文化に対する理解力、またあこがれ、またアメリカの民主主義のお陰。いろいろ考えられますが、大切なことはお互いが、自らの国の文化、歴史、伝統、政治経済をしっかり確立させ、それをお互いが認め合う、ということに尽きます。
・・しかし、日本はアメリカの民主主義や文化、経済、政治の強さを認めていますが、アメリカは日本のそういったものを本心から認めているんでしょうかねえ。