教育改革

2006年04月12日

 昨日、一昨日と高校、小学校、中学校の入学式に出席をしました。その中で中学校が一番大変のようだと思いました。小学校は教え込む大変さはありますが、白いキャンバスに絵を描くような、楽しさと面白さがあります。高校は義務教育ではありませんので、その学校の教育方針にある程度従わさせることが出来ます。
 しかし、中学校は小学校から送り込まれた生徒、いわゆる中間栽培を更に、育てなくてはなりません。栽培の過程はまちまちです。出来上がっている子供もいれば、まだ途中の子供もいます。バラつきがあり、その上最も多感な年代です。余り厳しくてもいけないし、優し過ぎてもなめられるし、難しいところです。先生の対応も大変だろうと察します。
 小学校6年間というのが少し長過ぎるようにも思います。これだけ、心身ともに成長が急速な年代、また、情報量も以前より格段に多い時代、またしつけや、秩序に関する考え方などが大きく変化する時代、6年間を小学校というひとくくりにすることに無理があるのではと・・。
 東京の品川区では、区立の小中一貫の九年生学校がスタートしました。そして、4年生までを基礎学力養成期間、7年生までの二年間を個性と能力発掘期間、そして、最後の2年間を磨きを掛ける習熟期間と区分しているようです。いま、色々なものが分業制になっています。教育を余り細切れにするのはどうかとは思うんですが、それぞれの年代別テーマを持って、就学年数を決め、そして、専門的な教員を置くという、分業制あるいはきめ細かな教育が必要かとも思うのです。
 今、家庭教育がバラバラ。本来なら、秩序や社会的ルールは家庭で教えなくてはいけないのですが、それも出来ていないような状態です。学校教育でその一端を担わなくてはいけません。加えて学力、体力、個人の能力、そして社会的訓練など全てが学校に担わされています。その役割分担の住み分けも必要なところです。
 一方で学力、個人の能力の発掘などは、塾などとも連携をしていくことも考えて良いと思います。
 心身の発達、不安定さ、さらに少年犯罪の発生、学力の格差、体力向上、不登校、情報のコントロール不能など、さまざまな問題が取り巻く子供たちの教育。学校の先生だけでなく、塾の先生も、そのほかの分野のプロも含めての、教育改革に取り組むべきです。
 「愛国心」を教育基本法に文言として入れる入れないという形だけの問題で時間を費やすようなことはしないで欲しい。「愛国心」「国を愛する心」入れてもいいじゃないですか。もっと、ほかに論議することがあると思うのですが・・・。
 明日から三日間東京です。各省庁にたまりにたまった陳情活動。現職国会議員との懇談会、更に経済人からの情報収集、そして、次女の新しいアパートも見て来なくてはいけません。忙しい東京になりそうです。
 辻立ちはします。7時20分西原、8時菊陽役場北。