立山の砂防ダム群を視察
2019年09月10日
日、月曜日は富山県の立山連峰に建設されている砂防ダム群を視察させていただきました。立山連峰を源流とする「常願寺川」流域に建設された砂防ダム群で標高2000メートルから500メートルの落差の中に数多く砂防ダム群がありました。
1858年(安政5年)に一帯に大地震があり、阿蘇山と同じ立山カルデラの一角の山であった鳶山(とんびやま)が崩落し、5億立米という桁違いの大量の土砂(阿蘇立野地域の今回の熊本地震による土砂崩落は50万立米)が富山の住家まで流れ出て大災害になったことから、大正15年に国が直轄で砂防ダムの工事を始め、今も延々と続いている地域です。カルデラ内には百基以上の砂防ダムがあり、立山連峰からカルデラを通って流れ出ようとする土砂を懸命にせき止めています。その中の3基は国の重要文化財にもなっており、現在砂防ダム群を世界文化遺産へ申請しています。
私たちはバスで1時間半かけて標高600メートルにある立山砂防事務所に向かい、そこからさらに1時間45分をかけて工事用トロッコ列車でスイッチバックを38回繰り返して約18キロメートルの道のりで640メートルの高低差を駆け上がりました。
カルデラの中は砂防ダムで一杯です。大正から昭和の戦前にかけてかなり難しい技術で高低差がある流域に砂防ダムがつくられています。日中戦争時も営々と建設されてきたもので、当時の我が国の防災にかける意気込みの強さを感じます。このような工事が出来るのは日本だけで「砂防」は英語で「SABO」と言うそうです。そのために今、世界文化遺産の申請もしているのです。
先の黒部ダムにしても今回の砂防ダム群にしても、懸命に電力確保や災害防止のために働いてきた先人の偉大さを知りました。
私たちにこれから何が出来るか。考えさせられます。