意識の問題
2006年03月17日
ワールドベースボールでの日本対韓国。2対1で日本が負けました。悔しさは日本国民みんな同じだと思います。「あの国にだけは負けたくない」というのはみんなが持っている感情です。しかし、国民意識として「負けたくない」という感情は韓国のほうが上回っていた、ということです。もし、松井や井口、城島がいたらどうなったか。しかし、彼らが参加しなかったということが、すでに、韓国との意識の違いです。韓国は大リーグ全ての選手が参加した。国を挙げて、大統領が先頭に立っての国を挙げてのイベントでした。
そう書くと負け惜しみのように聞こえます。「韓国の選手はそれで兵役が免除されるから」とか「日本は野球の底辺、中間層が韓国より厚いから」とか、よく言われます。しかし、「負けて悔しかったらあんたたちもそうすれば良いじゃない」といわれればそれまで。
問題は、ここでがむしゃらに韓国に、スポーツでも何でも勝つために国家体制でぶつかろうとするか。それとも、野球での負けに過ぎない。それはそれとして受け止めて、韓国が相手ということでなく、日本としてやるべきことをもっとしっかりやっていくことが大切、と思うのかどちらを取るかです。多分現実的に後者を国民も、国も取るでしょう。それは仕方のないことだけれど、それでもオリンピック、フィギュアー、ゴルフ、映画、バイオリンやピアノなどの音楽、そして、ヒュンダイを中心とする経済など日本も追いつかれ追い越されようとしているものばかりです。
勝ち負けは大切なことだけど、もう一度国民の意識付けをしっかりする必要がありそうです。少子高齢化問題と同時にニート、フリーター、少年犯罪、不登校など余りにも心の持ち方から来る問題が多すぎます。社会問題が複雑化して、心が繊細になっているのでしょうが、一方でたくましさ、ハングリー精神が要求されます。