中国という国の存在

2018年08月29日

 連日テレビでアジア大会を放映していますが、日本のメダルラッシュもさることながら、やはり中国の存在感の大きさを思い知らされます。メダルの数でも、競技の種目においても全てにわたって強いということは、人口も含めた国の大きさの違いでしかありません。もちろん社会主義の下で国家ぐるみの強化策が行われ、国威発揚の一環でアジア大会を征しアジアの盟主であることを見せつけるというのが国策としての狙いでしょうが、その通りになっていることは事実として認めないわけにはいきません。
 昨日は自民党の茶業振興議員連盟が開かれ、日本のお茶の振興についての論議と、お茶関係団体や農林水産省からの報告がありました。その中で「宇治茶」のブランドを使い、中国で大変なお茶ブームが起きていることやその企業がフランス・パリにも「宇治茶」の名前を使ってカフェテラスを出店していることなどが報告され、日本としての対応が求められました。「宇治」の下にいろいろな名前を付ければ「宇治茶」としては商標登録をしていますが、「宇治〇〇」では商標登録はありませんので、使い放題で消費者は日本の宇治茶と思って、色も味も違うお茶を飲んでいるということも団体から述べられました。
 中国のパクリは、なにも驚くことではありませんが、中国政府にその是正を求めても何もしてくれないと思います。一方、日本のお茶は、原発の影響で中国への輸出は禁止されているということですので踏んだり蹴ったりです。
 しかし中国という国はそれほどたくましく、また私たちから言えば厚顔ですが中国の人はそれが自分たちのルールと思っているので、いろいろな問題を意に介さないという強さを持っているということです。アメリカのトランプ大統領がイライラするのも理解できます。
 しかし、私たちはその中国と隣り合わせで暮らしているということです。政治も産業も安全保障も脅威ではありますがそれと付き合っていかなくてはなりません。アメリカを後ろ盾にしながらもやはり中国とは、「うまく」やって行かなくてはしようがないのです。争っても無駄な部分はあります。
 日本が絶対的に優れている分野は数多くあります。中国の政府要人もそれは十分に理解しています。しかし中国独特の大国意識の誇りも中国政治家全てから感じ取れます。私たちの良き部分を武器に上手に付き合い、譲れない部分は国際世論特にヨーロッパに訴えながら、丁々発止で永遠に付き合っていくこと、これしか道はありません。怒って争い出すと、戦前の失敗を繰り返します。日本の度量も求められます。