オリンピック

2006年02月14日

 トリノの冬のオリンピック。選手の皆さんは頑張っておられるのは分かるけど、メダルが取れません。出発前は、スケートにフィギュア、スノーボードなど有力種目でメダルラッシュではないかとも報道されていましたが、なかなか世界の壁が厚いことに気づかされます。ここで、報道する側とそれを受け取る我々の考え方を整理しておかなくてはいけないと思います。
 オリンピックの放映には、放映権と言って多額の金額をIOC(国際オリンピック委員会)に支払わなくてはいけません。それは放映権を獲得したテレビ局が支払います。オリンピックはこれら世界から集まるメディアの放映権の収入をを中心に運営されます。
 このため、放映権を獲得したテレビ局などは元を取らなくてはいけない。そのためには視聴率を上げて広告スポンサーを出来るだけ数多く集めて広告料も高く取って儲けなくてはいけません。だから常に視聴者の関心を引いておくために「メダルが取れる。メダルを取る」と言っておかなくてはいけない。
 しかし、試合となるとこれは勝負。勝ち負け、国家の威信をかけておメダル取りとなります。それで、いくつメダルを取るかという、勝負の目で見ると、今回のようにメダルが取れないと、腹が立ってくる。テレビは国民を乗せるだけ乗せておいて、国家はこのざまか、ということになります。あくまでお祭りや、そこにあるドラマを見るという風に割り切ることが大切。しかし、なかなか割り切れないんだよなー。
 オリンピックに限ったことではありません。マスコミは全て「事あれ主義です」。事故も、災害も、事件も、選挙も出来るだけ大げさに演出しなければ、テレビも見てくれない、新聞も売れない、雑誌も買ってくれません。
 それはそれで、商売ですので結構なんですが、これを見たり、聞いたり、読んだりしている一般視聴者や読者も一緒になって一喜一憂していくと、空虚さも残ります。自らを失うことにもなる。危険な面もあります。あらゆる情報が流れる報道の下で本当に大切なものは何かを冷静に分析した上で、ある程度覚めた目で見ること、読むことも大切なのではないのでしょうか。
 明朝の辻立ち7時半菊陽町武蔵が丘北交差点、8時過ぎ菊陽町国道57号光の森入り口交差点。