武士道
2006年01月21日
恥ずかしながらこの歳になって初めて「武士道」(新渡戸稲造・著、岬龍一郎・訳)を読みました。国家論や未来像、また現代の市場主義を見ていると日本の根底に流れている「武士道」をきちんと理解しておかなくてはいけない、と思ったからです。
これまで「武士道」に対しては私自身、肯定的に見る面と、否定的に見る面がありました。肯定は、やはり日本人の勤勉さや礼儀正さ、また秩序の維持、道徳観念などが武士道から来ていると考えます。また否定的な面は、容易に死ぬ、形式主義、必要以上の階級主義、などです。
「武士道」は「Bushido -The SoulofJapan」として、明治32年に、当時アメリカにいてプロテスタントだった新渡戸稲造が英語で書き、アメリカから出版されたものです。新渡戸の博識にまず驚かされました。世界のあらゆる文献を読み広い視野から、他の哲学や宗教と比較しながら、理論的に武士道の良さや真髄を述べています。江戸から明治になってわずか30年、こんな立派な人がいて、世界のことを学んでいたんだと、改めて驚かされます。そして、当時欧米の風潮に流され、日本の本当の良さが失われていくことを嘆いていますが、この辺は今と余り変わりません。
武士道がヨーロッパの騎士道と同じ武士の教えであること、それは「死ぬことと見つけたり」のような思想ではなく、社会をリードする高い身分の者に伴う義務、を定めたものであること。そして、他の階級とは別に、武士としての誇りや、責任、国のあり方を教えたものであること、を改めて知りました。そして武士道の底流に流れているのは、平和主義、弱いものへの思いやり、自らを恥と言う規範で律する自らへの厳しさ、などかなり奥が深い哲学であり、文化であり道徳である、ということも分かりました。
また、これらの教えは仏教、神道、儒教の根幹の部分を取り入れて構成されているようです。
「武士道」が成文化されているわけではありません。だからこそ、これを教育に取り入れるときは慎重にしなければならない、と感じました。時の為政者の都合のいいように解釈されてしまう。軍国主義に走った時代、時の日本の軍事政権は武士道を戦争するために都合のいいように解釈し、それを国民の洗脳に遣って行った様な気がします。本物の武士道とはそんなものではない、という事が、本を読むと分かってきました。
ライブドアの強制捜査、耐震構造偽装事件、聖域なき構造改革、などが起きている、中で、これからのの社会の在り方を考えるとき、武士道の本当の言わんとするところをしっかり学び取っていれば、かなり役に立ってくるとも感じました。
稚拙な読書感想文で申し訳ありませーん・・・・・