平成28年熊本地震

2016年04月19日

4月14日に発生した熊本地震は大きな被害をを引き起こし、現在に至っています。
4月14日午後7時=熊本大津町出身で娘と中学校の同級生の東洋・太平洋フェザー級チャンピオン竹中良選手の初防衛戦を後楽園ホールで娘と竹中選手の奥さん(全て中学校の同級生)とご両親と観戦。6回KO勝ち。
8時半=同僚が都内で飲んでいるということで合流。
9時半=熊本で震度7の地震が発生というニュース。熊本にこのような大規模地震は起きないはず、と半信半疑で自民党に電話、既に幹事長ら3役が集まっているとのこと。直ちに自民党へ。
10時半=幹事長から自民党派遣団として直ぐ熊本に帰り、調査報告しろという指令。団長は園田代議士、副団長が私。
15日午前6時=熊本選出衆議院議員1区木原稔、3区坂本哲志、4区園田博之、参議院議員 松村祥史、馬場成志、上京中だった自民党県連幹事長 前川收が羽田に集合、6時台の1番機は飛ばず8時半の飛行機で熊本へ
午前午後=自民党県連、県庁で知事らから実態報告、上益城郡益城町の震度7の現場を視察、熊本市役所で大西市長以下から実情聴取。
夕方=地元大津町に帰り役場訪問、自宅で食事、土曜日に孫の節句の祝いをするために、娘夫婦と子ども、息子夫婦と子ども、3世代が集合、午後11時には全員眠りにつく。
16日午前1時25分=強烈な突き上げるような地震。震度6強。家中が一瞬にして崩壊、金魚を飼っている水槽が割れ、柱時計、箪笥、食器棚、装飾品全てが倒壊、散らばるガラスに注意しながら、停電で真っ暗の中、懐中電灯を照らして、子ども孫全て外に脱出、そのまま300メートル離れた大津中学校へ車3台で避難。
16日一日中=夜が明けると、周辺市町村は大災害、家のガラス整理などを行った後、各市町村に出向く。選挙区は何処も道路が寸断、トンネル崩壊、橋梁崩落の孤立状態、秘書も事務所に来れず自分で運転しながらまず4町村を回った。帰宅は午後8時。震度5クラスの余震が続く、中学校グラウンドで車2台で子ども孫と2回目の車中泊。長男夫婦親子は福岡に帰す。
17、18日=嵐のような忙しさ。壊滅的な震源地近くの町村。「見に来て欲しい」という依頼が数多く、東奔西走する。築170年経つ文化財的我が実家も瓦、漆喰などが崩落、気が遠くなる。17日夜も余震が続き、中学校グラウンドで車中3泊目。
18日午後2時=熊本から渋滞のため3時間ほどかかり福岡空港へ行き上京、自民党の地震災害対策本部会合に出席、その後、熊本県選出国会議員団で今後の対応策を協議。

 この後復旧、復興、予算獲得、関係閣僚等の熊本入り、災害対策特別委員会の視察、住民の方々への相談窓口、国県とのパイプ役など様々な仕事になりそうです。
幸い体調は良好。全力を尽くして今後に取り組みます。何なりとお申し付けください。