世界遺産、キリスト教会群来年頑張ろう

2013年09月18日

2015年の世界文化遺産の登録候補に「明治日本の産業革命遺産」を推薦することが決まりました。そのことについては関係者の皆さんにお慶びを申し上げるとともに、ぜひ世界遺産登録を実現して欲しいと思います。もう一つの候補だった「長崎の教会群とキリスト関連遺産」は来年以降を待つことになりました。
 私は20代の頃、天草の最南端の町、牛深市(現天草市)で3年間熊本日日新聞の牛深支局長として赴任し、管轄区域に今回教会群の中に含まれている「崎津教会」など複数の教会を常に取材していましたので、教会群に愛着を感じる一人です。
 天草の西海岸は断崖絶壁の海岸が数多あり、椿の木の群生に隠れるようにして集落が点在します。そこから見えるのは水平線だけ。漁業と農業に明け暮れる厳しい毎日だったと思います。そのような地域で、キリスト教の信仰が禁止されていた江戸時代、1500年代後半から300年間、ひそかに隠れキリシタンとして信仰することで生きる望みを捨てず暮らしておられたことに、畏敬の念を持たざるを得ません。
 その中の一つ崎津地域には昭和9年に立てられた「崎津天主堂」があります。その集落には仏式の墓もありますが、石塔の隅に十字架が刻んであったりして、仏式で埋葬されたにもかかわらず隠れキリシタンであったことの証がいくつも見られ記事にしたこともありました。
 キリスト教が解禁され、天草にも天主堂が建設され、晴れて信仰することができるようになったとき信者の方々はどれだけ嬉しかったのだろうと想像したりもしました。天主堂は神父さんによっての年間行事があり、日曜日如何を問わず畳が敷いてある礼拝堂には熱心な信者の方がいつも座っておられました。
 天草だけでなく対馬や五島などの島々に信者がおられ、その後教会が立てられ、今回の世界遺産候補の教会群になっています。
 内地を離れた離島だからこそ、厳禁だったキリスト教信仰が可能だったのか、厳しい離島の生活だからこそ信じるべきものが必要だったのか。また中国大陸や朝鮮半島に近いこれらの島々にどのようにして、キリスト教が広まっていったのか、当時のロマンは広がるばかりでした。
 世界遺産の登録に向けてローマ法王庁のバチカンも応援するとも言われているそうです。来年はぜひ推薦されますよう、期待します。