硫黄島での日米合同慰霊追悼顕彰式

2012年03月15日

 昨日は硫黄島での日米合同慰霊追悼顕彰式に出席しました。国会議員で結成する「硫黄島問題懇話会(会長 逢沢一郎先生)」のメンバーとして出席したものです。政府からは外務副大臣や首相補佐官など政務三役が出席。その他超党派で11人の国会議員が参加しました。遺族代表は硫黄島の戦いで最高司令官だった、栗林忠道中将のお孫さん新藤義孝衆議院議員です。遺族関係者の方々100人ほどが参加されました。
 アメリカ側も遺族会を中心に250人ほどが参加。当時戦った兵士の方も85歳を越えて出席されました。両国は慰霊塔を挟んで左右にテントを張り、中央に日米海軍の音楽隊が並び、荘厳な慰霊追悼顕彰式でした。アメリカも2機のチャーター機で来られていましたので、硫黄島にはかなりの深い思いがあるのだと感じました。
 硫黄島は東京から南に1100キロの小さな、硫黄が噴出す島です。昭和20年2月19日、グアムやサイパンを陥落させたアメリカが、東京空襲の発着基地にするために、10万人の兵力を注ぎ込み占領のために戦いを始めた島です。迎える日本軍は2万1000人。しかし栗林中将以下、兵士は地下壕にもぐり善戦健闘し、3日間で落ちる、と言われていた硫黄島が陥落したのは3月17日でした。日本兵の死者は2万129人。アメリカ兵は6821人、米兵負傷者は2万1865人。死傷者ではアメリカが日本を上回った数少ない戦いで「クリバヤシ」の名前はアメリカで、最も優れた将軍に数えられています。
 アメリカは全ての遺骨を収集したあと日本に昭和43年領土を返還しました。その後、硫黄島は東京都小笠原村字硫黄島となり、現在は事実上、自衛隊の管理となっています。遺骨はまだ1万2000柱が眠っています。
 まだまだ硫黄島の戦後は終わっていません。