山形、時には外に出るもの
2011年03月07日
土曜日は山形に行ってきました。加藤紘一先生の山形県酒田市の後援会に招かれたためです。羽田から庄内空港まで50分。空から見る庄内平野は白一色でした。きれいに圃場整備された田んぼには雪が積もって何も植えられていません。熊本空港周辺は今、麦の緑とニンジンで一色ですが、ここから既に環境が違います。
まず鶴岡市へ。ここは加藤清正の嫡男加藤二代目忠広が徳川幕府から改易され流されたところです。54万石から1万石へ。しかも寒さ厳しい、言葉も全く違うこの地へ。約380年前、祖母と、母、奥さんといとこ、更に数人の家臣を連れてこの地に来たそうです。改易の理由はやはり豊臣家の第一の家臣、ということからでしょうか。
しかし、流された鶴岡市の丸岡という地域でしっかり守られていました。熊本は城をバックに金峰山という666メートルの山がありますが、同様に金峯山・天澤寺という曹洞宗のお寺で住職さんや荘内加藤清正公忠広公遺蹟顕彰会の皆さんの手で供養や保存、伝承が行われていました。熊本はもっと感謝しなくてはなりません。
そして酒田市へ。30分くらい客人としての挨拶をしてその日のうちに東京に帰りました。帰りは山形新幹線。東京に着いたのは夜の11時40分くらい。
わずかな時間でしたが刺激的でした。鶴岡の町もそして港で栄え、あの大地主の本間家がある酒田市。それぞれの地方都市が苦しみながらもこれからの生き方を模索している様子が見て取れました。しかし、大切なことは歴史や、伝統、そこにしかない文化を大事にすること。これはどんな時代になろうと残すことが出来、その地域の精神をつくり上げることにもなります。
毎週、熊本と東京の往復だけですが時には、国内でいろんなところに行って刺激を受けなくてはと感じました。