柿原(かきばる)の思い出

2009年11月01日

 新聞記者時代、熊本市の柿原というところに住んでいました。牛深支局から本社に転勤になったのが昭和57年。その時に建売住宅を買ったのが柿原地域でした。地名は花園7丁目というんですが、以前の地名で皆さん柿原と呼んでいらっしゃいます。それほど地域への愛着が強いところで、熊本市内ではそのナショナリズムは珍しいほどです。

 平成2年県議会議員選挙立候補のため、郷里の大津町に帰るまで15年間住みました。子供三人も地元の中・小学校、幼稚園に通っていましたが私の選挙出馬で環境が一変、大津に転校することになったのです。柿原は自然豊かなところです。寺院あり、そうめん流しや鱒の養殖場有、昔の遺跡もあり、川がきれいで春にはセリつみができました。みんな助け合いの精神旺盛で、自衛の消防団もあり私も入っていました。田舎の風情いっぱいで本当に良いところでした。

 当時公民館が建設30年を迎えていましたので、その記念にと柿原の歴史や名所、偉人などを紹介した「記念誌」を作る事になり、不肖私が記者もしていましたので編集の責任者となって、以前の写真集めから、地域の紹介、寄稿等をやり「30周年記念誌」として1冊の本を作り地域から出版しました。

 そんなこともあり、人情味豊かなところでしたので私の県議選のときは、選挙区は全く違うのにもかかわらず、皆さんのぼりを持って応援に来ていただきました。感謝です。

 その柿原が今度は公民館建設50周年を迎えたということで、祝賀会の案内を頂きました。私はあいにく外の行事と重なって式典に行けず、妻が出席させていただき祝辞も述べさせてもらいました。しかし、私も懐かしくなってどうしても駆けつけたくなり、行事を途中で抜け出し、はせ参じました。もう式典は終わって皆さん数人が残り、お酒を飲んでいらっしゃいました。私が姿を見せると本当に喜んでくださいました。私もつい懐かしく、ビールをいただき当時の話には花を咲かせました。

 やはり地域はハートです。便利で、暮らしやすいところに住むに越したことはありませんが、最後は隣近所心のつながりです。それは地域の行事を大切にしたり、地元の神社や仏閣を敬ったり、みんなで共同作業をしたりすることから生まれます。選挙区内でも人口が減り寂しくなった地域が多いのですが、やはりそういったものを大切にしているところは若者が最終的には帰ってきます。また行事のときだけでもみんな顔を見せます。例外はありません。そのためには頑固なリーダーも必要です。柿原はそんなところ。

 日本国中をそのような地域にしていきたいと夢見ています。