絶体絶命

2009年06月16日

 先週の金,土、日、月、地元は惨憺たるものでした。鳩山総務大臣の辞任は熊本に帰る途中、羽田空港で知りました。その日の夜からミニ集会が連日ありました。「なんで鳩山総務大臣の首を切るんだ。逆ではないか」「今まで、自民党にしようか民主党にしようか悩んでいたけど、これで踏ん切りがついた。民主党に入れる」。そんな意見が自分のミニ集会で出るんですから、世論は押して知るべしです。案の定今日の各新聞の世論調査は、麻生政権、自民党に厳しい意見ばかり。支持率もそれぞれに7-9ポイントの下落です。民主党議員の皆さんはさぞ喜んでおられ、士気も上がっていることでしょう。

 しかし、対民主党は別にして、自民党、麻生政権というものをもう一度考えてみる必要があります。

 今回の鳩山問題については、麻生総理には可哀相な面もあります。私は当初、政府が100パーセント株主となっていると言っても、民営化した日本郵政です。かんぽの宿の売却問題など、不透明な不祥事問題はあったものの官が民の人事に余り口出しはしないほうが良いと思っていました。しかし、そこは鳩山総務大臣の信念が世論を動かしたのでしょう。徐々に形勢は西川日本郵政社長に不利になっていきました。本来ならそうなる前に麻生総理が、何らかの対策を打たなくてはいけなかったんでしょうが、対応が遅れたことは事実です。しかし私自身は今回の更迭は大臣が総理の意思に反しているんだから、総理としては仕方ない、と考えています。

 しかし「正義感」「勧善懲悪」「西郷隆盛の言動」。こういったものにどうしても判官びいきになってしまいます。「なぜ、けんか両成敗できなかったのか」「なぜ悪人を助けて前任を切るんだ」という声になってしまします。しかし、この後の展開もあるのではないでしょうか。私はこのまま日本郵政の西川社長が居座り続けるとも思いません。どこかでけじめはつけられると思います。

 問題は自民党のほうです。確かに麻生総理の求心力も落ちています。総理としての言葉の説得力もありません。だからといってみんながあたふたとして、選挙が出来ないということで小手先の対応に走らないようにしなくてはなりません。選挙の顔は総裁であっても、選挙をするのは議員一人ひとりです。国民皆さんと話し合うこと、謙虚さを持つこと、5年後10年後の日本の姿を自分の信念を持って語りかけること。皆さんの不満に対しては第三者的に論評するのではなく責任政党の一員として耳を傾け、あるべき政策を示す、また尋ねること、この地道な作業の繰り返ししかない。下手にパフォーマンスやマスコミ受けするものに走る必要はありません。

 これから選挙まで苦しい時が続きますが、この苦しさこそ責任政党にある議員が背負わなくてはならないものです。それを自らの力で乗り越えようと努力する「議員力」。これが今問われているのだと考えます。頑張ります。